更新日時 2016年03月05日
山鹿温泉鉄道(やまがおんせんてつどう)は、かつて熊本県植木町(現在の熊本市)の植木駅と同山鹿市の間を通っていた鉄道路線、およびその運営事業者である。当初の名称を鹿本鉄道(かもとてつどう)と称した。温泉地として知られる山鹿を通る唯一の鉄道路線であったが、開業間もなく昭和恐慌の影響を受け、さらに山鹿と熊本市を結ぶバス路線が相次いで開設されたこともあって営業面では終始振るわなかった。このため競合バス会社の買収等の手段で山鹿 - 熊本間にバス路線を開設し、鉄道は貨物輸送に重点を置いて旅客輸送を減量するなどの手段で収支の安定化を図ったが、バス部門は戦時中の交通統合により九州産業交通への譲渡を余儀なくされた。戦後の1950年(昭和25年)12月に中型気動車を導入し、鹿児島本線への乗り入れ運行を開始して熊本への直通を実現したが、1957年(昭和32年)に水害により植木 - 植木町間の築堤が崩壊し、直通運行が不可能になった。植木町 - 山鹿間は復旧したものの、植木 - 植木町間は復旧を断念し休止し、バス代行輸送とした。このため熊本 - 山鹿間のバス路線に比し著しく利便性を欠いて鉄道の利用は低下、末期的な経営状態となったことから、1960年(昭和35年)に全区間が休止、のちに廃止された。 | |
山鹿温泉鉄道線(廃線) 植木駅 - 植木町駅 - 一ツ木駅 - 今古閑駅 - 山本橋駅 - 今藤駅 - 肥後豊田駅 - 舟島駅 - 伊知坊駅 - 平島温泉駅 - 山城駅 - 宮原駅 - 奥永駅 - 分田駅 - 来民駅 - 肥後白石駅 - 肥後大道駅 - 山鹿駅 |
|
@植木駅(うえきえき)は、熊本県熊本市植木町鐙田75番地に所在する九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅である。平日の朝上りに1本だけ、当駅どまりの列車が設定されている。駅構造は2面3線のホームを有する地上駅。当駅で普通列車が特急列車などの待避をする事がある。廃止された山鹿温泉鉄道が分岐し当駅から熊本駅まで山鹿温泉鉄道の気動車が乗入れていた。 | |
@山鹿温泉鉄道の植木駅が有ったと思われるところ。 | |
@山鹿温泉鉄道の植木駅から分岐したところ。 | |
A九州自然歩道:田原坂南方の険しい峰、吉次峠に陣を張った党薩隊が野津大佐に率いられた官軍と激突したのは明治10年3月3日から4日にかけてでありました。また、田原坂は西南の駅最大の激しい戦いが行われた丘陵地で、官軍と薩軍が砦を築き、3月4日から17日昼夜に及ぶ大攻防戦が繰り広げられました。この一進一退の戦いでは1日あたり32万発もの銃弾が使われ、中でも小銃弾同士が空中で衝突している”空中かち合い弾”はその激戦ぶりを物語る貴重な資料となっています。結果は薩軍が敗退しましたが、この間の7日間はみぞれ混じりの雨また雨であったと伝えられています。 | |
AJR鹿児島本線(旧国鉄鹿児島本線)と山鹿温泉鉄道が分岐していたところ。 | |
BJR鹿児島本線(旧国鉄鹿児島本線)の旧ルート(廃線) | |
B旧国鉄鹿児島本線の旧ルート(廃線) | BJR鹿児島本線。 |
Cそれでは山鹿温泉鉄道の廃線探索の始まりです。 | |
C山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
C山鹿温泉鉄道の廃線跡。上の高架はは植木バイパスの高架(工事中) | |
D山鹿温泉鉄道の廃線跡。水害により築堤が崩壊した場所は排水設備が整備されている。 | |
Dここから先の自転車道は迂回する。 | |
DE国土変遷アーカイブではここから先は線路が見えない為、隧道が有ったと思われる。 | |
E隧道?を抜けた辺りから山鹿温泉鉄道の廃線跡は続く。 | |
E山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
E山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
F山鹿温泉鉄道の廃線跡。植木町駅跡。 | |
山鹿温泉鉄道の旧植木町駅(九州鉄道記念館展示写真) | |
F山鹿温泉鉄道の廃線跡。国道208号線の下を潜る跨線橋。舞尾橋(もうのをはし)昭和27年1月竣工。 | |
G山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
G山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
H山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
H山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
I山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
J山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
K山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
L山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
M山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
M山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
N山鹿温泉鉄道の山本橋駅跡。山本橋駅の駅名標が残る? | |
N山鹿温泉鉄道の山本橋駅跡。 | |
N山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
O山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
P山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
Q山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
Q山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
R山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
R山鹿温泉鉄道の廃線跡。今藤駅跡と思われる。 | |
S山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
S山鹿温泉鉄道の橋梁跡は自転車道の橋梁に転用されている。 | |
S山鹿温泉鉄道の橋梁跡は自転車道の橋梁に転用されている。 | |
@山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
@山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
@山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
A山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
A山鹿温泉鉄道廃線跡。舟島駅周辺? | |
A山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
B山鹿温泉鉄道廃線跡。伊知坊駅周辺? | |
B山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
B山鹿温泉鉄道廃線跡に残る橋梁。(自転車道の橋梁に転用されている) | |
C山鹿温泉鉄道廃線跡(旧鹿本鉄道の平島駅舎跡地)平島温泉駅跡。 | |
C山鹿温泉鉄道廃線跡(旧鹿本鉄道の平島駅舎跡地)米塚駐輪場。 | |
D山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
E山鹿温泉鉄道廃線跡。山城駅周辺? | |
F山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
F山鹿温泉鉄道廃線跡。宮原川に架かる熊鹿正清橋。 | |
G山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
G山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
H山鹿温泉鉄道廃線跡。 | |
H山鹿温泉鉄道の橋梁は自転車道の橋梁に転用されている。 | |
I山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
I山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
I山鹿温泉鉄道の廃線跡脇にある石碑。 | |
J山鹿温泉鉄道の廃線跡。分田駅跡。 | |
J山鹿温泉鉄道の廃線跡。分田駅跡。分田駅(ぶんだえき)は熊本県山鹿市鹿本町分田に所在していた山鹿温泉鉄道の駅。 | |
J山鹿温泉鉄道の廃線跡。分田駅跡。駅構造 は1面1線式のホームを有する地上駅。駅舎は無く、雨よけ用の建物があるだけの簡素な駅だった。 | |
K山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
K山鹿温泉鉄道の廃線跡。菊池川に架かる第二分田橋。 | |
L山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
L山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
L山鹿温泉鉄道の廃線跡。来民駅跡?来民駅(くたみえき)は熊本県山鹿市鹿本町御宇田に所在していた山鹿温泉鉄道の駅であった。 ちなみに駅名が来民なのは、路線が通っていたときにこの地名が「来民村」だったことに由来する。駅構造は2面2線式のホームを有する地上駅。木造の駅舎が建っていた(現在は残っていない)。 | |
L山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
M山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
M山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
N山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
N山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
N山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
O山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
O山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
P山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
P山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
Q山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
Q山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
R山鹿温泉鉄道の廃線跡。コンクリート橋梁跡。 | |
R山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
R山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
S山鹿温泉鉄道の廃線跡。 | |
S山鹿温泉鉄道の廃線跡。山鹿駅跡。 | |
S山鹿温泉鉄道の廃線跡。山鹿駅跡。山鹿駅(やまがえき)は熊本県山鹿市に所在していた山鹿温泉鉄道の駅であった。また、同線の終点駅であった。駅構造は2線2面式のホームを有する地上駅。国鉄と共同使用の植木駅を除けばこの駅が唯一の有人駅であった。 | |
S山鹿温泉鉄道の廃線跡。山鹿駅跡。かつて駅跡には山鹿自動車学校がおかれていたが、その自動車学校も廃校となり、現在は自動車学校の跡地があるのみである。建物や自動車学校の練習コースなどは現在もやや荒れた状態ながら存在しているが、現在は「立入禁止」と書かれた看板と柵によって敷地内へ入ることはできない。また、敷地の道路沿いには山鹿温泉鉄道の記念碑が存在している。 | |
山鹿温泉鉄道の山鹿駅駅名標。 | 山鹿温泉鉄道4号機関車。 |
戻る Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved 外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |