更新日時 2016年01月04日

廃線探索 くりはら田園鉄道
 くりはら田園鉄道株式会社(くりはらでんえんてつどう)は、かつて宮城県にあった第三セクター方式の鉄道会社である。1993年12月15日に、石越駅と細倉マインパーク前駅とを結ぶ栗原電鉄(くりはらでんてつ)の株式が、親会社の三菱マテリアルから沿線5町村(当時)に譲渡され、第三セクター会社となった。1995年4月1日に、社名を「くりはら田園鉄道株式会社」、路線名をくりはら田園鉄道線に改称したが、経営状態の悪化のため、2007年3月31日を以て、くりはら田園鉄道線を廃止し、会社は解散となった。現在では、駅舎などの建物は若柳、沢辺、栗駒、細倉マインパーク前駅を除き撤去されているが、線路はほぼ廃線時のまま残されている。
くりはら田園鉄道線(廃線)
石越駅 - 荒町駅 - 若柳駅 - 谷地畑駅 - 大岡小前駅 - 大岡駅 - 沢辺駅 - 津久毛駅 - 杉橋駅 - 鳥矢崎駅 - 栗駒駅 - 栗原田町駅 - 尾松駅 - 鶯沢駅 - 鶯沢工業高校前駅 - 細倉マインパーク前駅
 @石越駅(いしこしえき)は、宮城県登米市石越町南郷西門沖にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。東北本線はこの駅を境に、管轄が仙台支社と盛岡支社とに分かれているが、この駅は仙台支社の管轄となっている。2007年3月31日までくりはら田園鉄道線の起点であった。
 @くりはら田園鉄道の駅は東日本旅客鉄道の駅とは小さな駅前広場をはさんで北西に位置した。くりはら田園鉄道の駅は単式ホーム1面1線を有する地上駅であり、駅舎は木造一階建てであった。くりはら田園鉄道の駅は末期には無人駅となっていて、定期券等の発売が近くの理髪店カナザワに委託されていた。また、汲み取り式便所が改札内に設置されていた。くりはら田園鉄道の廃止時には両社の線路は繋がっていなかったが、かつて両路線は連絡し、栗原電鉄と国鉄との間で貨車の授受が行われていた。また、栗原電鉄の最盛期には、仙台から栗原電鉄線へ直通列車が運行されたこともある。
@くりはら田園鉄道線、石越駅 - 荒町駅間の廃線跡。
@くりはら田園鉄道線、石越駅 - 荒町駅間の廃線跡。L勾配標と0と1/2のキロポスト。
Aくりはら田園鉄道線、石越駅 - 荒町駅間の廃線跡。速度制限標と勾配標。
Bくりはら田園鉄道線、石越駅 - 荒町駅間の廃線跡。勾配標と1キロポスト。
 C荒町駅(あらまちえき)は、宮城県栗原市若柳にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造 は単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。線路はカーブしながらほぼ東西に走っており、ホームがその北側に添えられていた。ホームの石越方の端は緩やかな坂となっており、これを使って駅に出入りをした。駅の石越方に遮断機・警報機つきの踏切があり、線路を越えて南側に行くことが可能であった。開業当初からの無人駅で駅舎は設けられなかった。ホームの中ほどに小さな木造の待合所があり、内部に作り付けの長椅子があった。現在の駅跡には何も無い。右写真。
Dくりはら田園鉄道線、荒町駅 - 若柳駅の橋梁跡。
Dくりはら田園鉄道線、荒町駅 - 若柳駅の廃線跡。2と1/2キロポストと腕木式信号機。
 E若柳駅(わかやなぎえき)は、宮城県栗原市若柳にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。くりはら田園鉄道の本社と車両基地などがあり、同鉄道の中枢部となっていた。大正10年建築の駅舎を有するとして、2002年(平成14年)、東北の駅百選に選定された。
 E駅構造は地上駅。線路はほぼ東西に走り、駅舎は南側にあった。ホームは単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線のあわせて2面3線があり、単式ホームは駅舎に接して敷かれた線路の谷地畑方に、島式ホームは駅舎から北側へ構内踏切を渡った荒町方にあり、互い違いに設置されている形となっていた。
 E2面3線のホームを持つが末期はここでの列車の行き違いは行われておらず、駅舎に近い単式ホームに上下すべての列車が発着した。このため末期には島式ホームは普段使用されておらず、特に一番北側の乗り場には当線が電気鉄道であった当時使用されていた電車が留置されていた。
 Eこの他当駅は側線を多数持ち、気動車や電車などが置かれ、気動車の夜間滞泊場所としても機能していた。駅舎荒町方にある切欠ホームに置かれたままとなっている二両の電車は自転車置き場として開放されていた。開業当初からの木造駅舎は一階建てで、内部には待合所のほか窓口があった(自動券売機は設置されていなかった)。直営駅で、切符などの販売が行われている他、貸し自転車の営業も行っていた。
くりはら田園鉄道の列車たち。
EDB10は直流750Vの栗電と交流電化の東北本線との貨車受け渡し用に導入された昭和40年協三製。
EMC100型 保線用モーターカー
Eワフ74号車とト102・103号車
 E左写真:ED203。右写真:KD10形気動車 KD11・12(旧名鉄キハ15・16) 輸送力強化のため1995年に名古屋鉄道から転入。主に通学目的の多客時間帯と専用列車の用途にとどまり、晩年は予備車扱いとなった。ワンマン対応工事は最後まで行われなかった。 廃止直前には団体専用列車に使われていた。
 EKD95形気動車 KD951 - 953 電化を廃止し内燃化に移行した際に3台が新製された富士重工業製の車体長16m級の軽快気動車 (LE-DC) 。外観は前面貫通式で貫通扉上部にはレトロ風カンテラを模した前照灯を装備。また第三セクター移行の際にホームが嵩上げされ、そのホーム高にあわせた車体設計のため乗降扉の足元の位置はやや高めで、逆に扉下段差(ステップ)の高さは極力抑えられ、車体側面の扉下側はJR東日本キハ100系気動車同様、全く張り出しがないすっきりしたデザインとなっている。内装は宮城県産木材を利用した床、手すり、格納式テーブルに1×2セミクロスシートの組み合わせと凝った作りになっている。ワンマン対応。
Eくりはら田園鉄道。富士重工平成6年。 EKURIHARA DEN-EN RAILWAYS
EM153。1955年から1995年までの40年間活躍していたが、1995年3月に電化廃止により役目を終える。
F沢山の白鳥が飛来してきている。 F若柳駅 - 谷地畑駅間の廃線跡。
Fくりはら田園鉄道線、若柳駅 - 谷地畑駅間の廃線跡。
F若柳駅 - 谷地畑駅間の橋梁?跡。 F若柳駅 - 谷地畑駅間の廃線跡。
 G谷地畑駅(やちはたえき)は、宮城県栗原市若柳字谷地畑にあった、くりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅である。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅に改札口はなく、道路から緩い坂を上って線路の北にあるホームに上がった。ホームには小さな待合室があった。無人駅。現在の駅跡には何も無い。
Gくりはら田園鉄道線、谷地畑駅 - 大岡小前駅間の廃線跡。
 H大岡小前駅(おおおかしょうまええき)は、宮城県栗原市若柳にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。改札口はなく、道路から緩い坂を上って線路の南にあるホームに上がった。ホームには小さな待合室が設置されていた。無人駅。現在の駅跡には何も無い。
Iくりはら田園鉄道線、大岡小前駅 - 大岡駅間の廃線跡。
Iくりはら田園鉄道線、大岡小前駅 - 大岡駅間の廃線跡。東北新幹線の高架下を潜る。
 J大岡駅(おおおかえき)は、宮城県栗原市若柳にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅である。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造は末期、単式ホーム1面1線のみを有する地上駅で、ホームは線路の南にあった。改札口はなく、乗客は緩い坂を上ってホームに上がった。出入り口の脇には小さな待合所があった。かつては列車同士の行き違いができたが、1966年に行き違いは行われなくなった。駅の大岡小前方北側にはかつて使われていたホームが残っていたほか、当駅の前後で架線柱の幅が広くなっているなどの痕跡があった。貨物扱いの廃止は1967年のことで、翌1968年には無人駅となり、廃止まで無人駅のままであった。現在の駅跡には何も無い。
Kくりはら田園鉄道線、大岡駅 - 沢辺駅間の廃線跡。東北自動車道の高架下を潜る。
 L沢辺駅(さわべえき)は、宮城県栗原市金成町沢辺にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。2005年の合併まで存在した金成町の中心的な駅であり、くりはら田園鉄道の中では数少ない有人駅となっていた。また、この駅では末期まで列車交換が行われた。駅前から東北新幹線のくりこま高原駅と連絡するバス「栗夢号しゃとる」が出ていたが、2006年9月30日をもって廃止された。
 L沢辺駅構造は2面3線のホームを持つ地上駅。線路は東西に走り、木造の駅舎を南側に設置、出入口はこの一箇所であって、北側へは駅の西にある構内踏切を渡って通行した。駅舎の前に駅前広場がある。 この駅は国鉄バスも発着していたことから、窓口は(自)沢辺駅(自動車駅)としての営業もあった。1968年に仙台盛岡急行線が開業すると、当駅に特急バスも発着する。JRバスは1999年に廃止され、乗車券発売もなくなる。その後は東日本急行(仙台盛岡急行線の共同運行会社だった)が仙台まで単独で運行しており、窓口での発売は継続された。 2007年3月31日をもって東日本急行・ミヤコーバスとも駅前への乗り入れが廃止された。バスターミナル機能は金成総合支所前(東日本急行は金成庁舎前)へと移された。
Mくりはら田園鉄道線、沢辺駅 - 津久毛駅間の廃線跡。国道4号線の高架下を潜る。
Mこの辺は沢辺ゲンジボタルの発生地。 N沢辺駅 - 津久毛駅間の廃線跡。
 O津久毛駅(つくもえき)は、宮城県栗原市金成大原木にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅である。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。
 O津久毛駅構造は末期、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。古くからの木造駅舎は地元の住民に貸し出されており、駅の設備として使われているのはそこから突き出た待合所部分のみであった。また、公衆便所があった。元は交換可能な駅であり、古いホームの痕跡があった。無人駅。駅には改札口がなかった。
Oくりはら田園鉄道、津久毛駅 - 杉橋駅間の廃線跡。左写真:13キロポスト津久毛駅方向を見る。
 P杉橋駅(すぎはしえき)は、宮城県栗原市栗駒里谷にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームには小さな待合室があるだけで、改札口、切符売り場、公衆便所等はなかった。駅の西の踏切からゆるい坂をのぼってホームに上がった。無人駅。
P杉橋駅をすぎると鳥沢川を渡るガーター橋にたどり着く。
P鳥沢川を渡る橋梁。くりはら田園鉄道の橋梁及び隧道は名前が書いていない物が多い。
 Q鳥矢崎駅(とやさきえき)は、宮城県栗原市栗駒里谷にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅である。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームには小さな待合室があるだけで、改札口、切符売り場、公衆便所などはなかった。駅の西にある踏切からゆるい坂を上ってホームに上がった。無人駅。
Rくりはら田園鉄道、鳥矢崎駅 - 栗駒駅間の廃線跡。15キロポスト、16と1/2キロポスト。
 S栗駒駅(くりこまえき)は、宮城県栗原市栗駒岩ケ崎にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。2005年に合併でなくなった栗駒町の中心駅で、駅の名は町の名からとられた。
 S栗駒駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎はホーム北側にあり、入口はこの一箇所。ホームとの行き来には線路を歩いて横切った。末期まで直営駅で、窓口では当社線ほか、ミヤコーバスの乗車券も発売していた。ミヤコーバス栗駒営業所(←宮交栗原バス本社営業所←宮城交通栗駒営業所←宮城中央交通岩ヶ崎営業所)が併設されていたが、2008年7月末で廃止となった。
Sくりはら田園鉄道、栗駒駅 - 栗原田町駅間の廃線跡。
@くりはら田園鉄道、栗駒駅 - 栗原田町駅間の廃線跡。
@くりはら田園鉄道、栗駒駅 - 栗原田町駅間の廃線跡。
@くりはら田園鉄道、栗駒駅 - 栗原田町駅間の三迫川の橋梁跡。
Aくりはら田園鉄道、栗駒駅 - 栗原田町駅間の橋梁跡。
 A栗原田町駅(くりはらたまちえき)は、宮城県栗原市栗駒中野にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造 は単式ホーム1面1線を有する地上駅。くりはら田園鉄道線の他の駅同様、改札はなかった。ホームと同じ南東側に木造一階の駅舎があって、待合室として使われており、外に公衆便所があった。無人駅。現在の駅跡は何も無い。左写真。
Bくりはら田園鉄道、栗原田町駅 - 尾松駅間の廃線跡。
C栗原田町駅 - 尾松駅間の廃線跡。 C軽便鉄道時代の赤坂山トンネルが右に見える。
C軽便鉄道時代の赤坂山トンネル。 C栗原田町駅 - 尾松駅間の廃線跡。
Cくりはら田園鉄道、栗原田町駅 - 尾松駅間の廃線跡。右写真19キロポスト。
 C軽便鉄道だった栗原鉄道時代はこの丘陵をトンネル(赤坂山トンネル)によって通過していたが、昭和30年の改軌時に切り通しにより越える方法に変更し、廃止を迎えた。駅ホームの山側の雑木の中にトンネル坑口跡を望むことができる。
C軽便鉄道時代の赤坂山トンネル。
 D尾松駅(おまつえき)は、宮城県栗原市栗駒稲屋敷にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅である。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。
 D尾松駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホーム上に小さな待合室があった。改札口、切符売り場、公衆便所はなかった。乗客は踏切横の細い道を歩き、低い坂をのぼってホームに上がった。無人駅であった。現在の駅跡は何も無い。
Eくりはら田園鉄道、尾松駅 - 鶯沢駅間の橋台跡。
E手前の橋台は軽便鉄道時代の橋台。 F尾松駅 - 鶯沢駅間の廃線跡。
Fくりはら田園鉄道、尾松駅 - 鶯沢駅間の橋梁跡。
Gくりはら田園鉄道、尾松駅 - 鶯沢駅間の橋梁跡。
 G鶯沢駅(うぐいすざわえき)は、宮城県栗原市鶯沢にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。旧鶯沢町の市街にあった。駅構造は末期、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、線路の南にあった。小さなホームに小さな待合室が一つ、ホームから少し離れたところに公衆便所が一つ置かれていた。駅の入り口には改札口も柵もなく、駅前の空き地から低い坂でプラットホームにつながっていた。元は相対式2面2線の駅であり、古いホームが残っているほか、貨物用と思われるホーム跡もあった。無人駅。
Gくりはら田園鉄道、鶯沢駅 - 鶯沢工業高校前駅間の橋梁跡。
Hくりはら田園鉄道、鶯沢駅 - 鶯沢工業高校前駅間の廃線跡。
 I鶯沢工業高校前駅(うぐいすざわこうぎょうこうこうまええき)は、宮城県栗原市鶯沢にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅である。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅で改札・切符売り場等はないが、公衆便所はあった。駅の北にホームがあり、そちらが出入口であった。
Jくりはら田園鉄道、鶯沢工業高校前駅 - 細倉マインパーク前駅間の廃線跡。
J秋法隧道の手前は切り通しになっている。 J秋法隧道の中には入れない様になっている。
Jくりはら田園鉄道には珍しく隧道に名盤が掲げられていた。秋法隧道。
J秋法隧道の細倉マインパーク前駅側。
Jくりはら田園鉄道、鶯沢工業高校前駅 - 細倉マインパーク前駅間の廃線跡。右写真24と1/2キロポスト。
Kくりはら田園鉄道、鶯沢工業高校前駅 - 細倉マインパーク前駅間の廃線跡。右写真25と1/2キロポスト。
 K旧細倉駅は廃止前は1面3線(旅客ホームは1線のみ)で、廃止後は本線のみ使用され、旅客ホームは横取線として当駅側のポイントが残されていた。駅舎は会社の事務所として使用され、駅名標も残っていたが、現在は更地となりホームが残っているだけである。左写真。
 L細倉マインパーク前駅(ほそくらマインパークまええき)は、宮城県栗原市鶯沢にあったくりはら田園鉄道くりはら田園鉄道線の駅である。2007年、路線の廃止に伴い廃駅となった。
 L細倉マインパーク前駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。斜面にあり、駅舎から少し降りたところにホームがあり、夜間滞泊も設定されていた。なお廃止後、ホームの駅名表は撤去されたものの、末期の姿をほぼそのままの形で残っている(ただし駅舎は閉鎖)。
LED202と、貨車ワフ71。 L乗って残そう栗原電鉄の看板が虚しい。
L電気機関車ED202と、木造の有蓋緩急貨車ワフ71が保存されている。
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