廃線探索 仙石線旧線

更新日時 2010年01月06日

 仙石線(せんせきせん)は、宮城県仙台市青葉区のあおば通駅から仙台駅を経由し宮城県石巻市の石巻駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。あおば通駅 - 陸前原ノ町駅間は2000年(平成12年)3月11日より地下線となり、仙台トンネルの名称がある。あおば通駅から陸前原ノ町駅付近までは地下線であるが、あおば通駅から榴ヶ岡駅までが洪積台地の地下であり標高がやや高い。榴ヶ岡駅を出て少し経つと長町-利府断層帯による段差に合わせて下り、断層の東側で一段低い所にある宮城野原公園総合運動場の前で大きく北東へ曲がる。ここからは断層の際に沿って走り、陸前原ノ町駅で半地下駅となり、同駅を出てから地上に出る。
仙台駅 - 陸前原ノ町駅間(旧線)
@仙台駅前の区画整理事業の看板に旧仙石線の路線図が載っている。
@仙台駅 @仙台駅前の旧仙石線の駅が有ったあたり。
A区画整理の影響で旧仙石線の廃線跡はもう解らなくなってしまっている。
A高層マンションの間が旧仙石線の廃線跡。 Bその先の公園脇が旧仙石線の廃線跡。
B公園の左側が旧仙石線の廃線跡。公園との境界には旧国鉄時代の境界杭が残っている。
B公園の右側が旧仙石線の廃線跡。 B左のマンションが旧仙石線の廃線跡。
C駐車場及びマンションが旧仙石線の廃線跡。 Cお寺の間の道が旧仙石線の廃線跡。
Cマンションのカーブが旧仙石線の廃線跡。 Dこの空き地部分が旧仙石線の廃線跡。
D公園?遊歩道部分が旧仙石線の廃線跡。
D正面のマンションが旧仙石線の廃線跡。 E正面のマンションが旧仙石線の廃線跡。
E榴岡公園前の歩道が旧仙石線の廃線跡。
F道路部分が旧仙石線の廃線跡。 G正面の部分が旧仙石線の廃線跡。
G駐車場部分が旧仙石線の廃線跡。駐車場の脇には旧国鉄時代の境界杭が残っている。
G旧国鉄時代の境界杭が残っている。 G駐車場に利用されていない旧仙石線の廃線跡。
G駐車場に利用されていない旧仙石線の廃線跡。
G駐車場に利用されていない旧仙石線の廃線跡。
H旧仙石線の廃線跡は自転車の保管場所になっている。
H自転車置き場のその先は旧仙石線の廃線跡は道路に転用されている。
H道路脇には旧国鉄時代の境界杭が残っている。 I道路脇には木製電柱の跡が残っている。
I左土手部分に旧国鉄時代の境界杭が残っている。 J緑地が旧仙石線の廃線跡。
J左土手部分に旧国鉄時代の境界杭が残っている。 J緑地が旧仙石線の廃線跡。
Kマンション方向に右カーブしている。 K広大な土地が旧仙石線の廃線跡。
K土地の真ん中に境界杭が。 K旧国鉄時代の境界杭が残っている。
Kこの広さは操車場が有ったのかもしれない。
K旧国鉄時代の境界杭が残っている。 L陸前原ノ町駅より旧仙石線の廃線跡を見る。
 L陸前原ノ町駅(りくぜんはらのまちえき)は、宮城県仙台市宮城野区五輪二丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。相対式ホーム2面2線の地下駅である。駅舎は地上にある。なお、仙石線地下化工事開始以前は2面3線であり、構内には陸前原ノ町電車区の留置線が広がっていた。駅東側には陸前原ノ町車掌区もあり、仙石線運行の拠点であった。地下化工事進行により陸前原ノ町駅は地上線時代の駅舎(初代)及びホームが建っていた場所に現在の駅舎が建つことになり、陸前原ノ町電車区の敷地を本線が横切る形で1996年に路線変更が行われ、2000年3月の地下区間開業まで仮駅舎(2代目)で営業を行っていた。したがって現在の駅舎は3代目にあたる。なお、2000年3月の地下区間開業まで使用されていた仮ホームは2線2面である。
 L陸前原ノ町駅の駅名由来:宮城野原の東端に位置し、広漠とした原野で有ったと言われ古くは苦竹村でした。近世に入って塩竃、松島、石巻方面への交通の要地として駅が置かれました。仙台開府後には仙台城下に入る関門として、また生産地と消費地との接触点に当たっていたので、茶屋が並び梅田川を利用した水車小屋などがあり、人々の往来で大変賑わいました。昭和3年(1928年)仙台市に合併された時、宮城野に望んでいることから「原町」と改められました。「陸前」とは気仙沼に至る「陸前浜街道」に因るものです。この名の由来を受けて、大正14年(1925年)6月宮城電気鉄道(現在の仙石線)の仙台〜西塩釜間開通の時、原ノ町駅が開業しました。
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