更新日時 2010年01月16日
神永喜八、片寄平蔵らにより発見された明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸線に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目されたためである。しかし硫黄分を多く含有し、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。昭和40年代以降ともなると、慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われ、更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985年に撤退している。 | |
湯本駅から右下に分岐するのが常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。昭和20年に開設し昭和48年に廃止になり28年間の常磐炭鉱専用鉄道鹿島線が終演した。全長2.12q。常磐炭鉱専用鉄道鹿島線周辺は常磐炭鉱株式会社の従業員社宅が有ったが、エネルギー革命時代に入り石炭産業もこのあおりで不振となる。社宅跡地は会社から返還されこの跡地を宅地開発した。 | |
@湯本駅から続く常磐線の保線用の敷地が常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 | |
@保線用の入口が有るがここで常磐線から分岐していた様だ。 | |
A市街地化していて軌道跡の痕跡は無い。 | 写真を見ると常磐線分岐後は築堤の様だ。 |
B国道6号を渡り自動車教習所を過ぎると小川が有るが、ここに橋が架かっていた様だ。 小川のブロックが変則的な部分が橋台跡か?小川を過ぎると細い砂利道が続くがこれが軌道跡の様だ。 |
|
C常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 | |
D常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 | D切り通しが見える。 |
D切り通しが見える。 | D常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 |
E常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 | |
E廃線跡はこの道路か?それとも住宅部分か? | E常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 |
F常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡は道路として転用されている。 | |
F常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡は道路として転用されている。 | |
G記念碑が残っている。 | G築堤が残っている。 |
H築堤部分は草が生い茂っている。 | |
H常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 | |
I常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡。 | |
I築堤が僅かに残っている。 | I万能塀の先が終点のようだ。 |
J常磐炭鉱専用鉄道鹿島線跡はここが終点の様だ。ここは石炭積み込み敷地だった様だ。 | |
戻る Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved 外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |