更新日時 2014年08月16日
羽後交通雄勝線は、秋田県湯沢市と同県雄勝郡羽後町を結んでいた羽後交通の電気鉄道路線。近在の林産、農産物を県内外に運ぶ目的で雄勝鉄道(おがちてつどう)として建設された。1928年(昭和3年)の開通以来、苦しい経営が強いられ、電気代が払えず肝心の電気が止められたりしたが、住民の強い要望により西馬音内 - 梺間が延長開業された。モーターリゼーションなどによる営業成績の悪化に伴い、1967年(昭和42年)の部分廃線を経て1973年(昭和48年)に全線廃止となった。 | |
駅一覧 湯沢駅 - 羽後山田駅 - 貝沢駅 - 羽後三輪駅 - あぐりこ駅 - 西馬音内駅 - 元西馬音内駅 - 梺駅 |
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@湯沢駅(ゆざわえき)は、秋田県湯沢市表町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)奥羽本線の駅である。当駅は1905年(明治38年)7月5日に国鉄奥羽南線が院内駅から当駅まで延伸したのに伴い湯沢駅(ゆざわえき)として開業する。開業当初は福島駅からの奥羽南線の終着駅であったが、その2か月ほど後の1905年(明治38年)9月14日には当駅から横手駅までが開業し奥羽本線が全通、奥羽南線の駅から奥羽本線の駅となる。1928年(昭和3年)8月10日には雄勝鉄道が当駅から西馬音内駅まで開業し分岐駅となったが、1973年(昭和48年)4月1日に廃止となった。駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。両ホームは跨線橋で連絡している。今はない4番線に羽後交通雄勝線が入っていた。列車入線時自動放送(仙石型放送)が流れる。 | |
A羽後交通雄勝線の湯沢駅 - 羽後山田駅間の廃線跡。 | |
B羽後交通雄勝線の湯沢駅 - 羽後山田駅間の廃線跡。 | |
C羽後交通雄勝線の湯沢駅 - 羽後山田駅間の廃線跡。 | |
D羽後交通雄勝線の湯沢駅 - 羽後山田駅間の廃線跡。 | |
E羽後山田駅(うごやまだえき)は、秋田県湯沢市深堀字高屋敷(開業時は旧・雄勝郡山田村深堀)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の駅(廃駅)である。雄勝線の廃線に伴い1973年(昭和48年)4月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。晩年に交換設備が廃止になるまでは島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。外側(西側)が下り線(梺方面)、駅舎側(東側)が上り線(湯沢方面)となっていた。そのほか側線として、上り線から東に分岐し駅舎との間を通過し、駅舎東側の貨物積卸場への貨物線を1線有していた。閉塞取扱廃止後の側線の状況は不明である。無人駅となっていたが、職員配置駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北東側に位置し、ホーム北側のスロープとを結ぶ構内踏切で連絡した。閉塞取扱廃止前までの列車交換の通標は、湯沢駅 - 当駅間は「○」、当駅 - 西馬音内駅間は「□」であった。貨物側線からの積載品は米穀であったが、戦時中までは藤田組松岡鉱山の鉱石輸送も行われていた。その関係で構内は広く取られていた。貨物積卸場には農業倉庫も設置されていた。路線廃止後、駅跡は1980年(昭和55年)4月1日に開園した社会福祉法人湯沢保育会「深堀保育園」の園庭になっている。 | |
F貝沢駅(かいざわえき)は、秋田県雄勝郡羽後町貝沢戸付(開業時は旧・雄勝郡三輪村貝沢戸付)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の駅(廃駅)である。雄勝線の廃線に伴い1973年(昭和48年)4月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(梺方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム南西側に待合所を有した。ホームは梺方にスロープを有し[7]駅施設外に連絡していた。ホーム端は枕木による柵も設けられていた。 | |
G羽後三輪駅(うごみわえき)は、秋田県雄勝郡羽後町貝沢雀田(開業時は旧・雄勝郡三輪村貝沢雀田)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の駅(廃駅)である。雄勝線の廃線に伴い1973年(昭和48年)4月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。晩年に閉塞取扱が廃止になるまでは島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。外側(西側)が下り線(梺方面)、駅舎側(東側)が上り線(湯沢方面)となっていた。そのほか側線として、上り線から東に分岐し駅舎との間を通過し、駅舎東側の貨物積卸場への貨物線を1線有していた。貨物積卸場には農業倉庫も設置されていた。閉塞取扱廃止後の側線の状況は不明である。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の北東側に位置し、ホーム北側のスロープとを結ぶ構内踏切で連絡した。閉塞取扱廃止前までの列車交換の通標は、湯沢駅 - 当駅間は「○」、当駅 - 西馬音内駅間は「□」であった。また、1965年(昭和40年)12月8日までの列車交換の通標は、羽後山田駅 - 当駅間は「○」、当駅 - 西馬音内駅間は「□」であった。 | |
H羽後交通雄勝線の羽後三輪駅 - あぐりこ駅間の廃線跡。 | |
Iあぐりこ駅(あぐりこえき)は、秋田県雄勝郡羽後町杉宮元稲田(開業時は旧・雄勝郡三輪村杉宮元稲田)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の駅(廃駅)である。雄勝線の廃線に伴い1973年(昭和48年)4月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(梺方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっていたが駅舎を有し、構内の北側に位置しホーム中央部分に接していた。あぐりこ稲荷に由来する寺社風の建物であった。ホーム端は梺方、湯沢方ともにスロープを有し、枕木による柵も設けられていた。駅舎前には鳥居が建てられていた。 | |
J西馬音内駅(にしもないえき)は、秋田県雄勝郡羽後町西馬音内中野(開業時は旧・雄勝郡西馬音内町中野)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の駅(廃駅)である。雄勝線の廃線に伴い1973年(昭和48年)4月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。そのほか側線として、発着線の南側に1線と、その南側に末端部分に車庫の建屋を有する車庫線を1線有していた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の北側に位置していた。廃止時点の構内設備は、路線廃止に向けて、廃止に先駆けて構内設備の縮小化(解体)がされた結果のもので、ホーム、駅舎、車庫のいずれも仮設のもので、ホームは板敷、駅舎はプレハブ造りの簡易な建物となっていた。雄勝鉄道時代は、本社も置かれていた。 | |
K羽後交通雄勝線の西馬音内駅 - 元西馬音内駅間の廃線跡。 | |
L元西馬音内駅(もとにしもないえき)は、秋田県雄勝郡羽後町南元西(開業時は旧・雄勝郡元西馬音内村下石地蔵)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の駅(廃駅)である。雄勝線の部分廃線に伴い1967年(昭和42年)12月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(梺方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム北側に待合所を有した。 | |
M羽後交通雄勝線の元西馬音内駅 - 梺駅間の廃線跡。 | |
N梺駅(ふもとえき)は、秋田県雄勝郡羽後町大字西馬音内堀回上石地蔵(開業時は旧・雄勝郡元西馬音内村下石地蔵)にあった羽後交通雄勝線(旧・雄勝鉄道)の駅(廃駅)である。雄勝線の部分廃線に伴い1967年(昭和42年)12月1日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(梺方面に向かって左手側)に存在した。そのほか側線として、本線のホーム手前から北側に分岐した廻り線(機回し線)を1線と、廻り線の梺方から分岐し構内西側に至る行き止まりの貨物1番線、廻り線の横手方から北側に分岐し構内西側に至る行き止まりの貨物2番線を有した[1]。うち貨物2番線には貨物積卸場を有した。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置し、ホーム西側のスロープとを結ぶ長めの通路及び構内踏切で連絡した。 | |
N梺駅跡は旧構内は一時幼稚園が建築されたがその後空地となった。腕木式信号機が設置保存され、車庫が建築され庫内にはデハ1形デハ3が復元保存され、ホームと駅名標が作られていた。車庫は羽後町で建てられ、デハ3は電気を流せば動き出すと言われる状態まで復元されていた。このデハ3は、もともと雨ざらし状態であり盗難品もあったため、1983年(昭和58年)に地元の人により修復され、車庫に保存することになった。平日の9:00 - 17:00に車庫内を見学(事前予約)することができる。 | |
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