更新日時 2019年11月11日

 常磐共同火力発電所専用線:植田駅を出て常磐線と併走し、駅北側の渋川を越えた場所にあった石塚操車所よりスイッチバックをする形で駅東側にある常磐共同火力勿来発電所の石炭貯蔵施設まで専用線があり、主に南中郷駅や湯本駅など発着の常磐炭鉱で産出した石炭や発電所から出る石炭灰(フライアッシュ)の輸送を行っていた。その後、常磐炭鉱の相次ぐ閉鎖によって産出量が激減したうえに海上輸送に転換されたため1970年代前半からは石炭灰(フライアッシュ)のみの輸送を行っていたが、これもトラック輸送に切り替えられたため1981年(昭和56年)貨物列車の設定と専用線発着の車扱貨物の取扱を廃止。
常磐共同火力発電所専用線
植田駅 - 石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所
 @植田駅(うえだえき)は、福島県いわき市植田町金畑にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。
 @植田駅構造は相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。以前は島式2面4線で外側にも線路があった。JR東日本ステーションサービスが駅業務を受託する業務委託駅。自動改札機・指定席券売機設置駅。
A煉瓦製の橋台とコンクリート製の橋台が残る。植田飛越橋梁。
A常磐共同火力発電所専用線の植田駅 - 石塚操車所間の廃線跡。橋台が残る。昭和32年1月竣工。
 B常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。石塚操車所からスイッチバックする形で常磐線とここで分岐。
C常磐共同火力発電所専用線の植田駅 - 石塚操車所間の廃線跡。渋川に橋梁が架かっていた?
 C貨車最後尾の右側にあるのが磐城農業高等学校。記憶が定かではありませんが1983年頃まではレールもあり友人と橋梁を渡って遊んだりしてました。橋梁と同じガーダー橋で真ん中に板が置かれただけの橋でした。震災の際に道路の両端が下がってしまったためあのような端の作りになってます。渋川にかかっていた橋も同様です。写真提供者様のコメント。
C隣の道路橋だが桁の高さが高いので、常磐共同火力発電所専用線の橋梁を移設転用した物か?
D石塚操車所跡。広めの敷地が残る。
 E常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。廃線跡と解る築堤が残る。
 F常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。廃線跡と解る築堤が残る。築堤の一部は道路拡張のため削られている。
 F常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。火力の境界杭が残る。
 G常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。渋川を渡った後は廃線跡の痕跡が無くなる。
 H常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。廃線跡の痕跡は全く残っていない。
 I常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。ここから先は道路が廃線跡。廃線跡の痕跡は残っていない。
 J常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。この道路橋は当時も有ったようだ。
K常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。
 L常磐共同火力発電所専用線の石塚操車所 - 常磐共同火力勿来発電所間の廃線跡。この先は常磐共同火力勿来発電所敷地内に入る。
M常磐共同火力発電所専用線の廃線跡。専用線は敷地内を走っていたと思われる。
 N常磐共同火力発電所専用線の廃線跡。この部分で道路を渡り発電所内へ石炭及びフライアッシュを運んでいたと思われる。この基礎は踏切の信号跡?
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 常磐共同火力発電所専用線