更新日時 2016年01月10日

廃線探索 清水港線
 清水港線(しみずこうせん)とは、静岡県清水市(現:静岡市清水区)の清水駅と同市の三保駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)。1980年の国鉄再建法施行により第一次特定地方交通線に指定され、1984年に全線が廃止、バス転換された。1916年に東海道本線の貨物支線として一部開業したが、1944年7月に三保まで延伸、同年12月に旅客営業を開始するのと同時に東海道本線から分離独立し、清水港線という路線名が与えられた。旅客営業開始時から旅客営業は貨物列車に客車を連結した「混合列車」によって行われた。最盛期には1日数往復の旅客列車が走り、昭和30年代には国鉄一の黒字路線になったこともあった。しかしその後、モータリゼーションの影響によって衰退が始まり赤字路線に転落。1972年以降は旅客列車(混合列車)は通学用に朝に下り1本、夕方に上り1本の1日1往復しか設定されず、日本一旅客列車の運行本数の少ない鉄道路線となった。
駅一覧 括弧内は清水駅からの営業キロ。
清水駅 (0.0km) - (貨)清水港駅 (1.4km) - 清水埠頭駅 (2.3km) - 巴川口駅 (3.3km) - 折戸駅 (6.1km) - 三保駅 (8.3km)
 @JR東海道線清水駅。清水駅には169qのキロポストがある。島式ホーム1面2線を持つ地上駅。ホームに接する線路が本線で、その両側にホームのない副本線(待避線)がある。上り副本線側に保線基地、下り副本線側に保線車両の車庫が設置されている。構内の東西を結ぶ自由通路に接して橋上駅舎を備える。直営駅で、駅舎内にはみどりの窓口や自動改札機、自動券売機などがある。
 @鉄分割民営化前には、駅舎北に複数の有蓋車用貨物ホームが、駅東南(現在の清水テルサ付近)に1面1線のコンテナホームがあったが、1984年(昭和59年)1月に東静岡駅に集約され廃止された。現在コンテナホーム跡は保線車両の留置線及び資材積み込み所となっている。かつては清水港線の乗換え口でもあった(現在清水港線ホーム跡は貨物ヤード共々区画整理され、住宅地となっている)。
@清水駅から静岡駅方向を見る。  @家康公遺訓が刻まれている石碑:人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず、不自由を常と思へば不足なし、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし、堪忍は無事長久の基 怒は敵と思へ勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害其の身に至る、己を責めて人をせむるな及ばざるは過たるよりまされり。
 @空の向こう:人々が働きかけることにより、ゆったりとその角度を変える大きな円は、その中に清水の風景を切り取り、見る度に変化します。  @この空のもとで:海、清水港、かもめ、松の木などをテーマとして、自然の微妙な変化を表現する作品です。清水に流れてくる風が、作品に動きを与え、常に形を変えることで、清水地区の風や光の変化を映しています。
A清水港線の廃線跡(遊歩道)
A清水港線の廃線跡(遊歩道) B清水港線の廃線跡(遊歩道)
B清水港線の廃線跡(遊歩道)
 B(貨)清水港駅周辺:清水港駅(しみずみなとえき)は、静岡県清水市(現静岡市清水区)新港町にあった日本国有鉄道(国鉄)清水港線の貨物駅である。なお、鉄道の線名は「しみずこうせん」と「港」が音読みだが、駅名では「みなと」と訓読みになる。
 C(貨)清水港駅周辺:名前の通り、清水港に隣接した臨海駅であった。駅東側の、豊年製油静岡工場(現・J-オイルミルズ静岡事業所)への専用線があり、有蓋車による貨物輸送を行っていた。また、貨車と船の間で直接材木の積み下ろしができる「テルファークレーン(テルハ)」があり、この駅のシンボル的な存在となっていた。開業以来貨物駅であったが、本線の海側に1面のホームがあった。
 C(貨)清水港駅周辺:現在では跡地の国道149号側は総合商業センターエスパルスドリームプラザとなっている。海側は清水マリンパークとして整備され、この海側敷地内に保存されたテルファークレーンは2000年(平成12年)に国の登録有形文化財に登録された。
C(貨)清水港駅周辺
C(貨)清水港駅周辺
 C清水埠頭駅 (2.3km):清水埠頭駅(しみずふとうえき)は、静岡県清水市(現静岡市清水区)にあった日本国有鉄道(国鉄)清水港線の駅(廃駅)である。清水港線廃線に伴い1984年4月1日に廃止となった。清水市街の込み入った中に、1面1線の旅客用単式ホームが設置されていた。一見無人駅のように見えたが、本線から分岐して400mほど入った位置に駅舎がある有人駅で、貨物列車が発着していた。ただし、旅客営業は行われていなかったため、乗車券の発売や駅舎への待合室の設置はなかった。貨物営業は、駅付近にある東洋製罐清水工場へ専用線が続き、貨物輸送を行っていた。また、埠頭にあった多くの倉庫へ構内側線が続き、船舶との提携輸送を行っていた。駅の跡地は14階建ての商業・住宅共同ビルである浪漫館(清水マリンビル別館)となっている。
D清水港線の廃線跡(マリンパークからは遊歩道では無い)
D清水港線の廃線跡(マリンパークからは遊歩道では無い)
E清水港線の廃線跡(マリンパークからは遊歩道では無い)
E清水港線の廃線跡。 E旧国鉄の境界杭が残っている。
F清水港線の廃線跡。 F巴川の対岸に橋梁の橋台跡が見える。
F国道149号線の巴川に架かる羽衣橋。
F対岸には橋台跡が見えない。 F清水港線の橋台跡で吊りをする家族。
Fレールが残っている。 F清水港線の架線用の電柱が残っている。
 F清水浄化センター敷地内にシールド工法の機械が展示されている。巴川口駅 (3.3km)周辺:巴川口駅(ともえがわぐちえき)は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)清開1丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)清水港線の駅(廃駅)である。清水港線廃線に伴い1984年4月1日に廃止となった。駅の跡地は静清環境センター(下水処理場)となっている。敷地内にプラットホームの一部が残されており、線路と共に整備されて保存されている。通常は非公開である。
G清水港線の廃線跡。
G清水港線の廃線跡。
 G清水港線の廃線跡。
H清水港線の廃線跡。
H清水港線の廃線跡。 I清水港線の廃線跡。
I清水港線の廃線跡(ここから再び遊歩道が続く)
 I静岡鉄道清水市内線65号車(ピーポー電車)昭和2年今はない東京都杉並線の前身である西武鉄道新宿線の木造ボギー車38号として生まれた。昭和11年静岡鉄道に譲渡され80号車の名で活躍した。昭和31年長沼工場(静岡)で鋼体化改造されて現在の姿モハ65型65号車となる。昭和50年長い間、清水市民の足として働き続けましたが、3月31日惜しまれながら廃線の日を迎えました。ここに静岡鉄道(株)と鈴与(株)のご協力により保存することと成りました。(保存するならもう少し草刈りをしてほしい物だ)
I鈴与(株)に保存されている車輌。
I清水港線の廃線跡(遊歩道:しみずマリンロード)
J旧三保駅まで3500m。 J清水港線の廃線跡(遊歩道:しみずマリンロード)
J晴海橋。 J港に材木を係留するコンクリートの柱が多数見える。
K旧三保駅まで3000m。 K清水港線の廃線跡(遊歩道:しみずマリンロード)
K清水港線の廃線跡(遊歩道:しみずマリンロード)
K清水港線の廃線跡(遊歩道:しみずマリンロード) K旧三保駅まで2500m。
 L旧国鉄折戸駅 跡:国鉄清水港線は昭和19年に開業し、折戸駅は同年12月に営業(旅客・手小荷物・貨物)し駅長以下6〜7名勤務していた。当時は貨物が主であったが、朝晩の通勤・通学で客車は満員であり、、混合列車(旅客・貨物兼用)も珍しかったが、開業40年後の昭和59年3月末はかなく廃止となった。
 L折戸駅(おりどえき)は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)折戸にあった日本国有鉄道(国鉄)清水港線の駅(廃駅)である。清水港線廃止に伴い1984年4月1日に廃止となった。駅跡地は単式ホーム1面1線のみを有し交換不能な地上駅。無人駅で、駅舎はおろか待合所すら持たず、ただホームだけのある駅であった。近くに高校があるため高校生の乗り降りが多く、清水港線の旅客列車の利用者のほとんどが当駅で乗降をしていた。廃止されるより前の1980年まで、隣駅の巴川口駅の西側にある日立製作所清水工場(現・日立アプライアンス清水事業所)へ続く専用線があり、貨物輸送が行われていた。現在跡地は公園となっている。
M旧三保駅まで2000m。 M真崎灯台まで4.2q。
M遊歩道用の橋が工事中。
M清水港線の廃線跡(遊歩道) Mこの円形は転車台跡か?
N清水港線の廃線跡(遊歩道)
N何の花? N清水港線の廃線跡(遊歩道)
Nサルスベリ。 NJR清水駅から6.0q。
O旧三保駅まで1500m。 Oバスターミナル。
O清水港線の廃線跡(遊歩道)
O清水港線の廃線跡(遊歩道)
P清水港線の廃線跡(遊歩道) P旧三保駅まで1000m。
 P縁生坊古墳跡:縁生坊古墳群は、古墳時代末期の7世紀後半から8世紀前半までのものと思われる。昭和初期にはスエ器・ハジ器が出土されたが第二次大戦の戦前・戦中工事その他で破壊され、その全容が明らかではないが、昭和に入り発掘等も行われたがどれも不十分であった。
P清水港線の廃線跡(遊歩道)
Q清水港線の廃線跡(遊歩道)レールのように見えるが、側溝の蓋(笑)
Q清水港線の廃線跡(遊歩道)レールのように見えるが、側溝の蓋(笑)
Q旧三保駅まで500m。 QHARBOR-BLUE LINEの紋章。
R清水港線の廃線跡(遊歩道)
R清水港線の廃線跡(遊歩道)
R清水港線の廃線跡(遊歩道)
 S旧三保駅 (8.3km)に咲く花々。三保駅(みほえき)は、静岡県清水市三保(現静岡市清水区三保)にあった日本国有鉄道(国鉄)清水港線の駅である。
 S貨物車輌の牽引、入換用として清水運送(株)が使用していた物です。15トンB型ディーゼル機関車。昭和45年製造。 日本車輌製造(株)
 S清水港線を走り続けたアルミタンク車:清水港線三保駅が昭和19年7月に開業され、この線で日本軽金属(株)清水工場から蒲原工場へアルミナを輸送し始め戦後は新潟工場にも輸送をしました。アルミナは別名、酸化アルミニウムと言い白色の粉末で色々な輸送荷送の変遷を経てきました。この車輌はシャーシ・タンクとも高張力アルミニウム合金製のアルミナ輸送用タンク車で昭和34年から昭和42年にかけて製造された33輌の内の1輌で、日本軽金属(株)と日本車輌製造(株)とが共同開発したものです。初期の物は、20有余年使用して来ましたが、その間殆ど無修理で清水港線や本線を走り続けました。昭和59年3月31日、清水港線が廃止され、その為に廃車の運命となりました。
 特徴@日本で最初のエアースライド(空気式排出装置)を搭載した粉末タンク車で、人出を用いず40トンのアルミナ粉末を約20分で排出することが出来た。Aアルミニウム合金製であるので、軽くて強く、荷物が多く運べる。(鉄製タンク車のアルミナ積載量30トンに対し、アルミニウム合金製は40トン)B塗装が不要である。
 S旧三保駅 (8.3km)旧三保駅まで0m。単式ホーム1面1線を有していた地上駅。ホームは構内の東にあり、ホームに接して古くからの駅舎があった。駅舎南側には1面1線の貨物ホームがあり、その他車両留置用の側線数本があった。駅の西側に向けて、日本軽金属清水工場や三井・デュポンフロロケミカル清水工場へ続く専用線が分岐していた。前者からは電解工場がある蒲原駅や新潟駅などへ酸化アルミニウム(アルミナ)が発送され、後者は主に塩酸の発送に使用されていた。
S旧三保駅のプラットホームが残っている。
S旧三保駅 (8.3km)
Sこの円形は転車台跡か?
S旧三保駅 (8.3km)旧三保から160m。
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