廃線探索 静岡鉄道静岡市内線

更新日時 2009年12月22日

 静岡市内線(しずおかしないせん)は、かつて静岡県静岡市葵区内の静岡駅前と安西を結んでいた静岡鉄道の路面電車。もともとは静岡清水線の一部として、1922年に静岡駅前 - 鷹匠町(現在の新静岡)間が開業。その後、順次延伸し、1929年には静岡駅前・安西間が全通した。かつては安西から鷹匠町より静岡清水線経由で清水相生町(現在の新清水)を経て清水市内線の港橋までの系統と静岡駅前 - 鷹匠町間の系統で運行されており、静鉄成立後も三線を総じて「静岡線」と称していた。1962年廃止。もともと旧静岡市の安西地区に建ち並ぶ製茶問屋から清水港へお茶を輸送する目的で1906年に設立された(旧)静岡鉄道を前身とする。その後大日本軌道静岡支社の路線となっていたこの鉄道路線を譲り受け、1919年に駿遠電気として設立された。1923年に静岡電気鉄道に社名変更し、1943年に国策によって藤相鉄道・中遠鉄道・静岡乗合自動車・静岡交通を統合して「静岡鉄道」となった。この時、初代会長に東京急行電鉄(東急)の五島慶太が着任したこともあり、戦前から戦時中は東急グループの一員であった上に現在でも筆頭株主は東京急行電鉄であるため、東急とのつながりが深く、現有車両の1000系は東急車輛製造製である。過去には東急(目蒲電鉄、東横電鉄の車両を含む)の中古の車両を購入して走らせていたこともある。
駅一覧
静岡駅前駅 - 新静岡駅 - 県庁前駅 - 中町駅 - 呉服町駅 - 金座町駅 - 茶町駅 - 安西駅
@JR東海静岡駅駅前。
A静岡鉄道新静岡駅前。再開発中で解体工事が行われている。
B静岡鉄道静岡市内線(路面電車)の廃線跡と思われる。
 B2009年8月11日早朝、駿河湾を震源地とする静岡県で震度6弱地震が発生。死者1人、負傷者は100人を超えた。その時に駿府城の石垣の一部が崩壊した。
 C駿府城大手御門:駿府城内へ入る正面出入り口です。三の丸堀を土橋で渡って右手へ直角に曲がり渡櫓門から城内へ入る構造になっていました。
 C県庁前のガス燈:静岡でガス事業が開始されたのは明治43年です。静岡駅前や七間町など市内6カ所にガス燈が点され文明開化を告げる光として市民に親しまれました。この3基のガス燈は静岡市市制施行100周年と市庁舎本館改修工事落成を祝して静岡ガスが寄贈した物です。
 C静岡の由来:明治二年(1869年)廃藩置県を前にして駿府または府中といわれていた地名の改称が藩庁で協議された。重臣の間では餞機山にちなみ餞ヶ丘といったんは決まったが藩学校頭取の向山黄村先生は時世を思い土地柄を考えて静ヶ丘即ち「静岡」がよいと提案され衆議たちまち一決同年六月二十日「駿州府中静岡と唱え替えせしめられ候と町触れが達せられた。以来百有余年富士を仰ぐふるさと静岡の名は内外に親しまれ県都として今日の発展を見るに至った。ここに市制施行九十周年を迎え黄村先生の遺徳をしゆかりの地藩庁跡に市名の由来をしるす。
 C教導石:「教導石」は明治という新しい時代を迎え、「富や知識の有無、身分の垣根を越えて互いに助け合う社会を目指す」との趣旨に賛同した角界各層の人達の善意をもって明治19年(1885年)7月に建立されました。
C静岡鉄道静岡市内線の廃線跡。
D静岡日本赤十字。旧呉服町駅周辺。
E静岡鉄道静岡市内線の廃線跡。
 F静岡天満宮:前身は「川中天神」と呼ばれた大きな石で、それが平安時代末期に菅原道真の信仰と重なり天満宮となったという。天満宮付近を江戸時代「四つ足町」と呼んだことから、「四足天神」とも呼ばれ、境内には「火伏せの観音様」と呼ばれる高さ29cmの金銅製観音像や、戦後、地元の静岡銀行の関係者によって連合軍の取り壊し命令より守られてきたと伝わる「静銀稲荷社」などがある。合格祈願の参拝者が多く、全国でも珍しい英語で文章が書かれたおみくじ「英文みくじ」がある。
F静岡鉄道静岡市内線の廃線跡。
G静岡鉄道静岡市内線の廃線跡。
H大正時代の金座町通り。この辺が旧金座町駅周辺か?
 I金座稲荷:日本銀行静岡支店近くにある金座稲荷は江戸幕府草創の頃、駿河小判を鋳造し幕府の造幣局の役割を果たした金座の頭取後藤庄三郎光次の屋敷があったところ。後藤光次は、もとは山崎庄三郎といい、京都にあって秀吉に仕え大判鋳造に当たっていた後藤徳乗光基の弟子であった。後に養子となり光次の名乗りを許された人物である。家康が秀吉によって関八州へ移封されると、秀吉の命令で家康のもとに派遣され、文禄4年(1595)武州墨判小判を鋳造した。墨判小判とは小判に光次の花押が墨書された小判で、家康が鋳造した小判としては最初のものである。光次は家康が天下を取り、駿府に移ると金座町に屋敷地(2932坪)を賜り「御金改役」となり幕府の金座を統括し金貨の鋳造、他所で造ったものの品位や目方の検査等行った。駿府で造ったものを駿河小判といい江戸で造られたものを武蔵小判といった。この屋敷址には「後藤松」と呼ばれる駿府中で一番大きな見事な松があって駿河湾の沖を行く船の目印になったものだといわれる。昭和20年(1945)6月の大空襲によって焼失した。
I静岡鉄道静岡市内線の廃線跡。
J旧茶町駅は現在の工事をしているあたりが駅周辺と地元の人が言っていました。
K旧安西駅周辺。ローソンの駐車場が駅位置だと地元の人が言っていました。
K旧安西駅周辺。ローソンの道路側左写真。右写真はローソンの裏側。
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