更新日時 2016年04月08日
御殿場線(ごてんばせん)は、神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市の御殿場駅を経て静岡県沼津市の沼津駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(幹線)である。明治時代から昭和時代初期にかけては東海道本線の一区間であり、複線化も行われていた。だが1934年(昭和9年)12月1日の丹那トンネル開通に伴い、東海道本線は熱海経由に変更され、国府津 - 沼津間は支線の御殿場線となり、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)には単線化された。しかし現在もなおトンネルや橋脚などに複線時代の面影が残っている。鉄道唱歌の歌詞は、丹那トンネル開通前に発表されたため、国府津 - 沼津が現在の御殿場線経由となっている。富原薫作詞の童謡『兵隊さんの汽車』は旧陸軍の演習場があった御殿場線を舞台にしているといわれている。この童謡は戦後『汽車ポッポ』と歌詞が改められて広く愛されている。 | |
東海旅客鉄道 御殿場線 国府津駅 - 下曽我駅 - 上大井駅 - 相模金子駅 - 松田駅 - 東山北駅 - 山北駅 - 谷峨駅 - 駿河小山駅 - 足柄駅 - 御殿場駅 - 南御殿場駅 - 富士岡駅 - 岩波駅 - 裾野駅 - 長泉なめり駅 - 下土狩駅 - 大岡駅 - 沼津駅 |
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@駿河小山駅(するがおやまえき)は、静岡県駿東郡小山町小山にある、東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線の駅である。1889年(明治22年)に国府津 - 御殿場 - 沼津間の鉄道が開業したとき、その中間駅の一つとして開業したのが小山駅、後の駿河小山駅である。国府津 - 沼津間を結ぶ現在の御殿場線は開業当時は東海道本線の一部であり、小山駅も東海道本線の駅として機能していた。駅の開業は、周囲の村が発展する契機となった。1898年(明治31年)には富士紡績の工場が村内で操業を開始し、日本全国から集められた工男・工女が小山駅に降り立ったと言われる。この紡績工場は、鉄道省の『新鉄道唱歌』で「瓦斯紡績の工場に その名知られし駿河駅」と歌われている。鉄道開通によって活況を呈した周囲の村は、大正になって町制がしかれている。1934年(昭和9年)に丹那トンネルを通る熱海 - 沼津間が開業し東海道本線が同区間経由に変更され、国府津 - 御殿場 - 沼津間が「御殿場線」という地方路線に格下げされたことは、小山の町にも悪影響を与えた。 | |
@駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。ホームの南側が下り列車が発着する1番線、北側が上り列車が発着する2番線である。ホームの外側に1本ずつ側線があるほか、上り側線から、富士紡績小山工場(現・フジボウテキスタイル小山工場)への専用線を転用した保線車両留置線が分岐している。 | |
A東海道本線だったころの複線の名残が解る。 | |
B御殿場線の旧線の鉄橋が残っています。 | |
Bガーター橋がかなり錆び付いていて時代を感じさせますね。 | |
B旧線の探索とはいえ、現役線が直ぐ脇を通るので気を使いますね。電車の間隔を見て撮影です。 | |
C第一小山踏切より撮影。 | |
C箱根第7号隧道。駿河小山駅側。 | |
D箱根第7号隧道。谷峨駅側。 | |
E御殿場線と旧線跡。脇の広いスペースが旧線跡。 | |
E鉄道水害工事の石碑の様だ。 | |
F旧線の方は橋台は残るがガーター橋は撤去された様だ。 | |
F線路脇の側道は線路の反対側に行くが、線路沿いのこの門の先に行ってみよう。 | |
G最初はこの道が旧線の廃線跡と思ったがどうやら違う様だ。 | |
G御殿場線の現役線の脇が旧線の廃線跡の様だ。 | |
H藪をかき分けて掘り割りの上から撮影。 | |
I御殿場線の現役線の橋梁は残るが旧線の橋梁は無い。 | |
J対岸に迂回して廻り撮影。 | |
K柏木踏切より撮影。 | |
K柏木踏切より撮影。御殿場線は小田急線が直通運転をしています。 | |
Lまたもや大きく迂回して、対岸に来ると、反対側からは解らなかった、旧線の橋台が見えます。 | |
Lここから、旧線は御殿場線の現役線と暫く別れて走ります。 | |
M道路橋の矢戸大橋から旧線の橋台を見る。旧線は二度、鮎沢川を渡る。 | |
M御殿場線の旧線は国道脇を通っていた様だ。 | |
N丹沢湖中川温泉の看板の脇あたりを旧線が通っていた様だ。 | |
O最初は酒匂川に架かる新清水橋が廃線跡かと思ったが・・・ | |
O新清水橋脇に旧線の橋台発見。 でも対岸には橋台は残っていない。 | |
P酒匂川を渡ると直ぐに箱根第5隧道が現れる。 | |
P隧道内は、結構ぬかるんでいるので、廃線探索が終わる頃には靴がかなり汚れてしまう。 | |
Q箱根第5隧道。谷峨駅側。 | |
Q箱根第5隧道の谷峨駅側はコンクリートで塞がれ、且つまた穴が空けられている。意味不明だ。 | |
Q現役線脇の廃線探索はルート探しが大変である。道無き道をかき分けて進む必要がある。 | |
Q隧道の脇を登り、一端迂回ルートを廻る。 | |
R谷峨跨線橋より撮影。 | |
S谷峨駅(やがえき)は、神奈川県足柄上郡山北町谷ケにある、東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線の駅である。山北町の清水地区に位置する山間の駅。1907年(明治40年)開設の信号場を前身とし、付近住民の要望により1947年(昭和22年)7月に駅として開業した。開業当初は薪や炭を発送する駅としても機能していたが、現在では旅客のみを扱う小さな駅である。丹沢湖・中川温泉方面への玄関口であり、同方面へ向かうバスが駅前を経由している。当駅は普通列車のみの停車駅で、特急「あさぎり」は通過する。ただし、「あさぎり」が急行列車であった時代は、一部列車が当駅にも停車していた。駅構内には桜が植えられている。 | |
S駅構造は相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。西側のホームは下り列車が使用する1番線、東側のホームは上り列車が使用する2番線である。ホーム間の移動用に、ホーム山北寄りに構内踏切が設けられている。駅舎は1番線側にある。かつては木造の駅舎であったが、2000年(平成12年)に三角屋根の駅舎に改築された。無人駅であり、管理駅の松田駅が当駅を管理している。 | |
@谷峨駅を出て国道と反対側の山道を暫く歩くと、御殿場線の隧道の上の道に辿り着く。 | |
@隧道脇の急斜面の崖を降りて旧線の鉄橋を確認。 | |
@箱根第3・4号隧道の谷峨駅側は、隧道の入口が木々で覆われている。 | |
A箱根第3・4号隧道の旧線と新線の隧道は各所で繋がっている。列車が通ると繋がっている所から空気が漏れて旧線側にも流れてくる。 | |
A10.2‰と20‰の勾配標だが、20‰側の勾配標はどう見ても列車側からは見えないと思うが・・・ | |
A箱根第3・4号隧道と名が付いている隧道だが、勾配標が有る場所は、一回り隧道が大きい。以前は別々の隧道だったのか? | |
B箱根第3・4号隧道山北駅側。 | |
B箱根第3・4号隧道と現役線、第3酒匂川橋梁。 | |
Bまたもや、隧道の上を迂回して廻らなくては。 | |
B国道の瀬戸第五橋より撮影。 | |
C第3酒匂川橋梁。山北駅側。 | |
C現在の撮影ポイント辺りが、旧線の廃線跡になる。 | |
D第2酒匂川橋梁。 | |
Dまたしても第2酒匂川橋梁を迂回する。 | |
E第2酒匂川橋梁の山北駅側。18.5qポスト。 | |
F平山踏切より撮影。先ほどの第3相沢川橋梁で撮影した列車が折り返して来た様だ。 | |
F平山踏切より撮影。 | |
F第1酒匂川橋梁。対岸に旧線の橋台が見える。 | |
Gまたもや、第1酒匂川橋梁を迂回して対岸へ。 | |
G御殿場線旧線の廃線跡。 | |
H小型の橋梁跡。 | |
H箱根第2隧道。谷峨駅側。 | |
H隧道に穴が開いている。 | I現役線と反対側の横穴。 |
Iこの箱根第2隧道も現役線と横穴で繋がっている。 | |
I現役線と繋がっていない横穴も。奥行きがあるから埋めたのか? | |
J箱根第2隧道の山北駅側。 | |
J箱根第1隧道と箱根第2隧道間の橋梁。 | |
J箱根第1隧道と箱根第2隧道間の橋梁。 | |
J箱根第1隧道の谷峨駅側。 | |
K隧道を造ったときの木の補強材が見える。 | K箱根第1隧道は現役線と繋がっている。 |
K箱根第1隧道は現役線と繋がっている。 | |
L箱根第1隧道の山北駅側。 | |
M道路トンネルと川村関所跡。 | |
M川村土功之碑。 | |
N皆瀬川橋梁。 | |
N山北橋より撮影。 | |
O人道橋より撮影。 | |
P跨線橋より撮影。 | |
Q跨線橋より撮影。 | |
R駅裏手の機関区跡地には公園(山北町鉄道公園)が設けられ、御殿場線で使用されたD52形70号機が静態保存されている。 | |
R山北機関区跡。 | |
S山北駅(やまきたえき)は、神奈川県足柄上郡山北町山北にある、東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線の駅である。山北町の中心部である山北地区に位置する駅。開業は1889年(明治22年)2月で、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化により運営事業者は日本国有鉄道(国鉄)からJR東海に代わった。かつては山北機関区を擁する山越えの拠点駅であり、山北町は鉄道の町として栄えた。急行列車が停車していた時代もあったが、現在は普通列車のみの停車駅である。当駅で折り返す国府津方面行きの列車も設定されているほか、東海道本線の東京駅から当駅まで直通する列車が1日1本設定されている。当駅はJR東海の駅員配置駅(直営駅)の一つである。ただし駅長は配置されていないため、管理駅である松田駅が当駅を管理している。また早朝・夜間は無人駅となる。 | |
S駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホーム北側が1番線、南側が2番線であり、基本的に1番線を上り列車、2番線を下り列車が使用する。かつては、現在あるホームの南側にも島式ホームが設置されていた。ホームの外側に1本ずつ電化された側線があり、電車の夜間滞泊が行われている。 | |
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