廃線探索 名鉄揖斐線

更新日時 2017年07月03日

 名鉄揖斐線(めいてついびせん)は、岐阜県岐阜市の忠節駅から岐阜県揖斐郡大野町の黒野駅を経て岐阜県揖斐郡揖斐川町の本揖斐駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。2005年4月1日に全線が廃止された。この日廃止された名鉄の600V電化区間で唯一の鉄道事業法適用区間であった。宅地化が進む岐阜市西郊の通勤・通学路線であった。かつては、途中の黒野駅から分岐して谷汲村(現揖斐川町)にある谷汲駅までを結ぶ谷汲線が延び、谷汲山華厳寺への参詣の足となっていたが、揖斐線黒野 - 本揖斐間とともに2001年に廃止された。その後も車社会の進展で利用客の減少に歯止めがかからず、2004年に名古屋鉄道は岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。廃線後もしばらく本揖斐駅は残されたが、現在は撤去され、枕木等は一般に売却され、沿線近辺でよく見かけられる。
名古屋鉄道 揖斐線(廃線)
忠節駅 - 近ノ島駅 - 萱場駅 - 旦ノ島駅 - 尻毛橋駅 - 尻毛駅 - 川部橋駅 - 又丸駅 - 北方東口駅 - 北方千歳町駅 - 美濃北方駅 - 八ツ又駅 - 真桑駅 - 政田駅 - 下方駅 - 相羽駅 - 黒野駅 (>>谷汲方面) - 麻生駅 - 中之元駅 - 清水駅 - 八丈岩駅 - 本揖斐駅
 @忠節駅(ちゅうせつえき)は、岐阜県岐阜市島栄町1丁目にあった、名古屋鉄道の駅である。2005年3月31日限りで廃止された。駅構内は島式・相対式3面4線のホームを持つ有人駅であった。2線は岐阜市内線・揖斐線直通用(3・4番線)、2線は揖斐線内折り返し用(1・2番線。この2線は頭端式)。廃止直前は岐阜市内線との直通列車がほとんどであったため、揖斐線折り返しホームはほとんど使われなかった。廃線の数年前までは名鉄パレ(現・パレマルシェ)忠節店を中心とした4階建ての駅ビルを併設していたが、老朽化に加え名鉄パレが閉店したため取り壊された。
A名鉄岐阜市内線の千手堂駅 - 忠節駅間の廃線跡。駐車場として利用されている。
B名鉄揖斐線の忠節駅 - 近ノ島駅間の廃線跡。「線路内を通行しないでください」の看板があるが・・・
C名鉄揖斐線の忠節駅 - 近ノ島駅間の廃線跡。
D名鉄揖斐線の忠節駅 - 近ノ島駅間の廃線跡。
E名鉄揖斐線の忠節駅 - 近ノ島駅間の廃線跡。
 E近ノ島駅(ごんのしまえき)は、岐阜県岐阜市近島にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。急行列車は停車しない。駅構造は屋根つきの単式ホームがある地上駅。無人駅。戦前までは隣の萱場駅があったが廃止された。2005年(平成17年)4月1日 - 忠節駅・黒野駅間の営業廃止により廃駅。
F名鉄揖斐線の近ノ島駅 - 萱場駅間の廃線跡。
G名鉄揖斐線の近ノ島駅 - 萱場駅間の廃線跡。
H名鉄揖斐線の近ノ島駅 - 萱場駅間の廃線跡。
 I名鉄揖斐線の近ノ島駅 - 萱場駅間の廃線跡。
 J萱場駅(かやばえき)は、岐阜県岐阜市萱場付近にあった名鉄揖斐線の駅である。1914年(大正3年)に同線の開業とあわせて開設され、1944年(昭和19年)に休止となり1969年(昭和44年)4月5日 に正式に廃止となった。線路は撤去されたものの、現在もホーム跡がはっきりと残っている。駅構造は石垣の単式ホームがある地上駅。
K名鉄揖斐線の萱場駅 - 旦ノ島駅間の廃線跡。
L名鉄揖斐線の萱場駅 - 旦ノ島駅間の廃線跡。
 M旦ノ島駅(だんのしまえき)は、岐阜県岐阜市旦島にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。急行列車は停車しない。戦前までは隣の近ノ島との間に萱場駅が、尻毛との間に尻毛橋駅が存在した。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。無人駅。2005年(平成17年)4月1日 - 揖斐線忠節駅 - 黒野駅間の営業廃止により廃駅。
N名鉄揖斐線の旦ノ島駅 - 尻毛橋駅間の廃線跡。
O名鉄揖斐線の旦ノ島駅 - 尻毛橋駅間の廃線跡。
 P尻毛橋駅(しっけばしえき)は、岐阜県岐阜市下尻毛にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。駅構造は単式ホームがある地上駅。伊自良川橋梁(名鉄古川橋)西岸(右岸)の堤防上に位置していた。伊自良川橋梁(名鉄古川橋)西岸の土手が少しだけ広くなっている箇所が尻毛橋駅の跡地であり、2005年(平成17年)4月1日に揖斐線が廃止されるまで残っていた。しかし、伊自良川橋梁(名鉄古川橋)の撤去、及び護岸工事により、2009年(平成21年)6月頃に完全に痕跡は失われた。
 Q尻毛駅(しっけえき)は、岐阜県岐阜市尻毛にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。隣の又丸駅と合わせて珍地名として知られる。戦前までは、隣の旦ノ島との間に尻毛橋駅が存在した。駅構造は相対式ホーム2面2線の交換可能駅で、忠節寄りに構内踏切と小さな駅舎があった。なお、末期は無人駅となっていた。
R名鉄揖斐線の尻毛駅 - 川部橋駅間の廃線跡。
 S川部橋駅(かわべばしえき)は、岐阜県岐阜市にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。尻毛駅 - 又丸駅間に存在した。駅名は、根尾川(通称:古根尾川)にかかる橋である。1946年以前 - 休止。1969年(昭和44年)4月5日 - 廃止。
@名鉄揖斐線の川部橋駅 - 又丸駅間の廃線跡。
 A又丸駅(またまるえき)は、岐阜県岐阜市又丸にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。隣の尻毛駅とともに珍地名として知られる。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。無人駅。2005年(平成17年)4月1日 - 揖斐線忠節駅 - 黒野駅間の営業廃止により廃駅。
 B北方東口駅(きたがたひがしぐちえき)は、岐阜県本巣郡北方町にあった名古屋鉄道揖斐線の駅。北方町で一番東の駅。駅構造は屋根つきでベンチ・自動券売機のある駅。単線。2005年(平成17年)3月31日 忠節・黒野間の営業廃止により廃駅。
C名鉄揖斐線の北方東口駅 - 北方千歳町駅間の廃線跡。
D名鉄揖斐線の北方東口駅 - 北方千歳町駅間の廃線跡。
 E北方千歳町駅(きたがたちとせまちえき)は岐阜県本巣郡北方町にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。駅の構造はホーム1面1線の停留場であった。黒野寄りに出入口が1か所存在した。
F名鉄揖斐線の北方千歳町駅 - 美濃北方駅間の廃線跡。
G名鉄揖斐線の北方千歳町駅 - 美濃北方駅間の廃線跡。
H名鉄揖斐線の北方千歳町駅 - 美濃北方駅間の廃線跡。
 I美濃北方駅(みのきたがたえき)は、岐阜県本巣郡北方町にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。2005年(平成17年)3月31日限りで、名鉄揖斐線の廃線により廃止された。駅構内は相対式2面2線のホームを持つ無人駅(昔は有人駅)であった。1番線は黒野駅方面(1997年に忠節寄りに場内信号機設置後、当駅止廃止までの間は忠節駅・岐阜市内線方面折り返しも行う)、2番線は忠節駅・岐阜市内線方面。駅舎には、タクシーを呼ぶための無料直通電話があった。
J名鉄揖斐線の美濃北方駅 - 八ツ又駅間の廃線跡。
K名鉄揖斐線の八ツ又駅 - 真桑駅間の廃線跡。
L名鉄揖斐線の八ツ又駅 - 真桑駅間の廃線跡。
M名鉄揖斐線の八ツ又駅 - 真桑駅間の廃線跡。
N名鉄揖斐線の八ツ又駅 - 真桑駅間の廃線跡。
O名鉄揖斐線の八ツ又駅 - 真桑駅間の廃線跡。
 P真桑駅(まくわえき)は岐阜県本巣市にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。駅の構造はホーム1面1線の停留場であった。2005年3月31日 忠節−黒野間の営業廃止。廃駅。
Q名鉄揖斐線の真桑駅 - 政田駅間の廃線跡。
R名鉄揖斐線の真桑駅 - 政田駅間の廃線跡。
S名鉄揖斐線の真桑駅 - 政田駅間の廃線跡。
@名鉄揖斐線の真桑駅 - 政田駅間の廃線跡。
 A政田駅(まさだえき)は岐阜県本巣市にあった名古屋鉄道揖斐線の駅。駅の構造はホーム2面2線の交換可能駅であった。2005年3月31日 忠節−黒野間の営業廃止。廃駅。
A名鉄揖斐線の政田駅 - 下方駅駅間の廃線跡。
B名鉄揖斐線の政田駅 - 下方駅駅間の廃線跡。
C名鉄揖斐線の政田駅 - 下方駅駅間の廃線跡。
D名鉄揖斐線の政田駅 - 下方駅駅間の廃線跡。根尾川橋梁を渡る橋梁が架かっていた。
 E下方駅(しもかたえき)は、岐阜県揖斐郡大野町大字下方にあった名古屋鉄道揖斐線の駅。駅の構造はホーム1本のみの停留場であった。また藪川(根尾川)鉄橋を大野町側に渡った堤防からの延長線上にある珍しい高所の駅であった。2005年3月31日 忠節−黒野間の営業廃止。廃駅。
F名鉄揖斐線の下方駅 - 相羽駅間の廃線跡。
G名鉄揖斐線の下方駅 - 相羽駅間の廃線跡。
H名鉄揖斐線の下方駅 - 相羽駅間の廃線跡。
 I相羽駅(あいばえき)は岐阜県揖斐郡大野町大字相羽字二番割1054番地3にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。2005年3月31日限りで、揖斐線の廃線により廃止された。駅構造は1面1線の無人駅。
J名鉄揖斐線の相羽駅 - 黒野駅間の廃線跡。
K名鉄揖斐線の相羽駅 - 黒野駅間の廃線跡。
L名鉄揖斐線の相羽駅 - 黒野駅間の廃線跡。
 L黒野駅(くろのえき)は、岐阜県揖斐郡大野町大字黒野5604番地にあった名古屋鉄道の駅である。2005年3月31日の営業を以て、揖斐線の廃線により廃止された。ほのぼのとした風情のある駅として第1回の中部の駅百選に選定された。廃止後も揖斐線の駅では最後まで線路も含めて廃止時の姿で残っていたが、2013年4月12日に「黒野駅レールパーク」として整備され、構内は島式ホームである2.3番線を残し整地され、線路も2番線のみが保存された。また駅舎も改装し、「黒野駅ミュージアム」として開業。揖斐線の備品などが展示されているほか、かつて駅務室だった出札口や2階部分にも入ることができるようになった。
 L黒野駅構造は単式ホーム・島式ホーム各1面の2面3線。駅舎とホームの行き来には、構内の踏切を経由する必要があった。また、駅舎と島式ホームの間に車庫が併設されていた。駅舎の改札外に待合室が、改札内に男女共用の水洗式便所があった。また、構内には車両基地(黒野検車区)があり、揖斐線運行の要や夜間滞泊場所として機能していた。1番線から3番線まであったが、谷汲線廃止後の晩年は2番線のみが旅客の乗降に使用された。駅舎側から3・2番線(島式ホーム)、1番線(単式ホーム)の順になっていた。
L黒野駅から続く廃線跡。「黒野駅レールパーク」として整備されている。
L黒野駅ミュージアムに展示されている、揖斐線、谷汲線の備品。
L黒野駅ミュージアムに展示されている、揖斐線、谷汲線の備品。
L黒野駅ミュージアムに展示されている、揖斐線、谷汲線の備品。
M名鉄揖斐線の黒野駅 - 麻生駅間の廃線跡。三水川を渡る橋梁が残る。
M名鉄揖斐線の黒野駅 - 麻生駅間の廃線跡。三水川を渡る橋梁が残る。
N名鉄揖斐線の黒野駅 - 麻生駅間の廃線跡。
O名鉄揖斐線の黒野駅 - 麻生駅間の廃線跡。
P名鉄揖斐線の黒野駅 - 麻生駅間の廃線跡。
 Q麻生駅(あそうえき)は、岐阜県揖斐郡大野町にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。駅名は地名に由来する。黒野駅 - 中之元駅間に存在したが、駅間が短いこともあり休止、廃止された。駅の構造はホーム1面1線の停留場。開業時は待避線が存在したという。1969年4月5日 - 廃駅。
R名鉄揖斐線の麻生駅 - 中之元駅間の廃線跡。
S名鉄揖斐線の麻生駅 - 中之元駅間の廃線跡。
@名鉄揖斐線の麻生駅 - 中之元駅間の廃線跡。
 @中之元駅(なかのもとえき)は、岐阜県揖斐郡大野町にあった名古屋鉄道(名鉄)揖斐線の駅である。2001年9月30日の営業限りで廃駅となった。駅構造は単式1面1線で交換不可だった。2001年10月1日 - 黒野駅 - 本揖斐駅間廃止に伴い廃駅。
A名鉄揖斐線の中之元駅 - 清水駅間の廃線跡。
B名鉄揖斐線の中之元駅 - 清水駅間の廃線跡。
C名鉄揖斐線の中之元駅 - 清水駅間の廃線跡。
D名鉄揖斐線の中之元駅 - 清水駅間の廃線跡。
 E清水駅(きよみずえき)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町にあった名古屋鉄道(名鉄)揖斐線の駅である。2001年9月30日の営業限りで廃止された。駅構造は単式ホーム1面1線のみを持ち、列車の交換はできなかった。2001年10月1日 - 黒野駅 - 本揖斐駅間廃止に伴い廃駅。
F名鉄揖斐線の清水駅 - 八丈岩駅間の廃線跡。
 G八丈岩駅(はちじょういわえき)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町[1]にあった名古屋鉄道(名鉄)揖斐線の駅である。清水駅 - 本揖斐駅間に存在した。八丈岩は、駅の近くにある権現山の中腹にある大岩の名称である。駅の構造はホーム1面1線の停留場。開業時は待避線が存在したという。1969年4月5日 - 廃駅。
H名鉄揖斐線の八丈岩駅 - 本揖斐駅間の廃線跡。
I名鉄揖斐線の八丈岩駅 - 本揖斐駅間の廃線跡。
 J本揖斐駅(ほんいびえき)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪にあった名鉄揖斐線の駅である。同線の終着駅でもあった。もともとは揖斐駅を名乗っていたが、近鉄養老線(現在の養老鉄道養老線)の揖斐駅とは3kmばかり離れ紛らわしいことから、駅名に町の中心部にあるという「本」を冠し、本揖斐駅を名乗るようになった。だがモータリゼーション発展に伴い、それまで岐阜市内線の岐阜駅前駅から乗り入れていた直通列車は、朝夕を除いて手前の黒野駅で折り返すようになり、末期の黒野駅 - 当駅間は日中1時間間隔になっていた。名鉄のローカル線廃止の方針により、1999年の美濃町線新関駅 - 美濃駅間廃止に続いて、谷汲線などとともに2001年に黒野駅 - 当駅間も廃止となり、廃駅となった。駅舎は木造ながらある程度の規模を持っていたが、廃線後に取り壊されて更地となった。配線は島式ホーム1面2線であったが、末期に使用されていたのは岐阜方向へ向いて右側のみで、左側は駐輪場になっていた。またホームの一部と電車全体を覆うように、巨大な屋根もかけられていた。2001年10月1日 - 黒野駅 - 本揖斐駅間廃止に伴い廃駅。2005年 - 駅舎が解体される。
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