更新日時 2016年04月18日
名鉄八百津線は、岐阜県可児市の明智駅から岐阜県加茂郡八百津町の八百津駅までを結んでいた、名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。かつて八百津支線(やおつしせん)と称していた時期があり、八百津支線と呼称される場合は広見線の支線として扱われた。運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。広見線から分岐し、蘇水峡や丸山ダムなどの景勝地を控えた八百津町まで木曽川に沿って結んでいた。2001年10月1日に全線廃止。同日に同じ名鉄の谷汲線、揖斐線黒野駅 - 本揖斐駅間、竹鼻線江吉良駅 - 大須駅間が廃止されている。1984年に広見線とともに富士重工のレールバスの試運転が行われ、名鉄が閑散区間合理化のためこれを採用。同年八百津線は電気運転を廃止してレールバス運転に切り替え、その直後から架線などの電化設備は撤去された。レールバス化当初はキハ10形を使用し、1995年より廃止時まではキハ30形を使用していたが、八百津線廃止後キハ30形は三河線の非電化区間へ移籍した。しかし、こちらも廃止になったことにより名鉄から非電化路線はなくなり、車両はミャンマーへ輸出された。その後、2006年に新可児駅構内のレールバス専用の検車場(新可児検車場)が撤去された。 | |
名古屋鉄道 八百津線(廃線) 明智駅(伏見口駅) - 東伏見駅 - 兼山口駅 - 城戸駅 - 兼山駅 - 中野駅 - 伊岐津志駅 - 八百津駅 |
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@明智駅(あけちえき)は、岐阜県可児市平貝戸川田にある名古屋鉄道広見線の駅である。2001年(平成13年)までは八百津線が当駅で分岐していた。 なお、当駅ではmanacaが使用できない。1930年(昭和5年)4月30日東美鉄道伏見口駅として開設。 | |
@明智駅構造は可児市の外れにあるが、可児川の対岸にある可児郡御嵩町伏見の玄関口でもある。また駅前より兼山・八百津方面へ向かうバス(YAOバス)が毎時1本程度発車している。駅舎は三角屋根の木造で開業当初のもの。出札窓口と待合室を有する。駅舎側から島式1面(1,2番線)、単式1面(3番線)の2面3線ホームを有する地上駅。木造平屋の駅舎とホームは構内踏切で繋がっている。ホームは全て4両分だが通常は2両編成のみ入線し、ホーム新可児寄りに停車する。 | |
A名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。乗って残そう名鉄広見線の旗が空しい。 | |
B名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。橋台が残る。 | |
B名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。橋台が残る。 | |
C名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。橋台とレールが残る。 | |
D名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。レールとATSのセンサーが残る。 | |
D名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。可児川を渡る橋梁が有った。 | |
D可児川の化石株:可児川を挟むこの地域の地層は中村層といい、今からおよそ1900万年前に出来た地層で、多くの植物化石を産出します。また、植物が炭化して出来た亜炭の層が挟まれているのも特徴です。平成6年に木曽川周辺に広がる中村層から、大規模な化石林(珪化木の株)が発見されました。この可児川の化石株も同じ化石株の一つです。40年〜50年前は大小幾つかの化石株が見られましたが、現在は河川工事や風化によって僅かしか見る事ができません。付近から出る葉の化石からメタセコイヤの大木かと思われます。当時の気候などを知る上で植物の化石化と共に貴重な地質的文化財です。 | |
E名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。この先廃線跡は遊歩道になっている。 | |
F名古屋鉄道八百津線の明智駅 - 東伏見駅間の廃線跡。跨線橋が残る。 | |
G東伏見駅(ひがしふしみえき)は、かつて岐阜県可児郡御嵩町にあった名古屋鉄道八百津線の駅である。かつての可児郡伏見町[1](1955年に合併で御嵩町)の駅であった。1930年(昭和5年)4月30日東美鉄道伏見口 - 兼山間開業に際し開設。1944年(昭和19年)営業休止。 | |
H名古屋鉄道八百津線の東伏見駅 - 兼山口駅間の廃線跡。廃線跡は遊歩道に転用されている。 | |
I名古屋鉄道八百津線の東伏見駅 - 兼山口駅間の廃線跡。遊歩道はここまで。 | |
J名古屋鉄道八百津線の東伏見駅 - 兼山口駅間の廃線跡。廃線跡と解る割堀になっている。 | |
K名古屋鉄道八百津線の東伏見駅 - 兼山口駅間の廃線跡。砕石が残る。 | |
L名古屋鉄道八百津線の東伏見駅 - 兼山口駅間の廃線跡。 | |
M名古屋鉄道八百津線の東伏見駅 - 兼山口駅間の廃線跡。 | |
N兼山口駅(かねやまぐちえき)は、かつて岐阜県可児郡兼山町(現・可児市)にあった名古屋鉄道八百津線の駅である。駅構造は廃止時点では1面1線の地上駅であり、利用客専用の便所と自転車置き場があった。かつては丸山水力発電所建設工事のため列車交換が可能であった。 | |
O名古屋鉄道八百津線の兼山口駅 - 城戸駅間の廃線跡。 | |
P名古屋鉄道八百津線の兼山口駅 - 城戸駅間の廃線跡。 | |
Q名古屋鉄道八百津線の兼山口駅 - 城戸駅間の廃線跡。 | |
R名古屋鉄道八百津線の兼山口駅 - 城戸駅間の廃線跡。平成24年の急傾斜地崩壊対策事業。 | |
S城戸駅(きどえき)は、かつて岐阜県可児郡兼山町(現・可児市)にあった名古屋鉄道八百津線の駅である。駅名の城戸は、金山城(現・古城山)へ向かう坂の名、城戸坂に由来する。1930年(昭和5年)4月30日東美鉄道伏見口 - 兼山間開業に際し開設。1944年(昭和19年) - 営業休止。 | |
@名古屋鉄道八百津線の城戸駅 - 兼山駅間の廃線跡。城山トンネルの城戸駅側。 | |
@名古屋鉄道八百津線の城戸駅 - 兼山駅間の廃線跡。城山トンネルの兼山駅側。 | |
A名古屋鉄道八百津線の城戸駅 - 兼山駅間の廃線跡。築堤が残る。 | |
B名古屋鉄道八百津線の城戸駅 - 兼山駅間の廃線跡。築堤と橋台が残る。 | |
C兼山駅(かねやまえき)は、かつて岐阜県可児郡兼山町(現可児市)にあった、名古屋鉄道八百津線の駅である。同線の廃線に伴い、2001年(平成13年)9月30日限りで営業を終了し、翌10月1日に廃駅となった。駅構造は昔は交換設備や側線があり比較的構内は広くなっていたが、廃止時点では使用停止となり駅舎の反対側のみ使用の島式1面1線の無人駅になっていた。なお、無人化されても駅舎は残っていた。廃止時点では窓口はベニヤ板で固く覆われていた。 | |
D名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。 | |
E名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。 | |
F名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。 | |
G名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。橋台と築堤が残る。 | |
H名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。築堤が残る。 | |
H名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。カルバートが残る。 | |
I名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。跨道橋があった。 | |
J名古屋鉄道八百津線の兼山駅 - 中野駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。 | |
K中野駅(なかのえき)は、かつて岐阜県加茂郡八百津町にあった名古屋鉄道八百津線の駅である。駅構造は廃止時点では1面1線の地上駅であった。開業時より無人駅であった。廃止時点では駅舎は無く、ホームに屋根があるのみだった。スロープはなく、道路からは階段を通じて接続されていた。 | |
L名古屋鉄道八百津線の中野駅 - 伊岐津志駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。 | |
M名古屋鉄道八百津線の中野駅 - 伊岐津志駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。 | |
N伊岐津志駅(いぎつしえき)は、かつて岐阜県加茂郡八百津町にあった名古屋鉄道八百津線の駅である。駅名は可児郡錦津村(1955年に合併で八百津町の一部)の大字に由来する。1930年(昭和5年)10月1日東美鉄道兼山 - 八百津間開業に際し開設。1944年(昭和19年営業休止。 | |
O名古屋鉄道八百津線の伊岐津志駅 - 八百津駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。 | |
P名古屋鉄道八百津線の伊岐津志駅 - 八百津駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。 | |
Q名古屋鉄道八百津線の伊岐津志駅 - 八百津駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。 | |
R名古屋鉄道八百津線の伊岐津志駅 - 八百津駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。 | |
R名古屋鉄道八百津線の伊岐津志駅 - 八百津駅間の廃線跡。 | |
R八百津駅跡と書かれているが駅構内だが八百津駅はもう少し先。 | |
S八百津駅(やおつえき)は、岐阜県加茂郡八百津町伊岐津志にあった、名古屋鉄道八百津線(廃線)の駅である。八百津町の中心地からはやや離れていて、木曽川を渡った対岸に位置していた。路線廃止に伴い、2001年(平成13年)9月30日限りで営業を終了し、翌10月1日に廃駅となった。廃線までは御嵩町に向かう広見線と八百津町に向かう八百津線が、明智駅(旧伏見口駅)において2つの線に分岐しており、当駅は長らく八百津線の終着駅であった。プラットホームは1面1線のみの有人駅だった(一部の時間は無人)。かつては丸山ダム方面まで線路(丸山水力専用鉄道)が延びていたため、側線が増設(後に撤去)されており御嵩駅のような頭端式ではなかった。自動券売機等は一切なかった。八百津線は非電化のレールバスの時代になってから、全列車ワンマン運転であったため、ホームの明智方には運転士が安全確認に用いるバックミラーがあった。1984年(昭和59年)に八百津線がレールバスに置き換わるまでは直流電化されており、住民の記憶によると、1970年代には2両編成の電車や7000系パノラマカー4両が当駅まで乗り入れていたという。2001年(平成13年)に八百津線が廃線となり、駅も廃駅になった後は、駅舎等は撤去されている。その後旧駅前ロータリーを含めた敷地が宅地造成され、住宅が建築された。 | |
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