更新日時 2010年06月30日
譲原砂利採取線:1960年代まで、下曽我駅の西にある酒匂川へ向かう砂利採取線が分岐していた。3km余りのこの砂利採取線は譲原砂利株式会社が使用し、廃線跡の大部分は道路に転用されている。 | |
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@下曽我駅(しもそがえき)は、神奈川県小田原市曽我原にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)御殿場線の駅である。御殿場線の第一種鉄道事業者であるJR東海と、同線の第二種鉄道事業者であるJR貨物が共同で使用する駅である。ただし、JR東海が運行する旅客列車の発着はあるが、JR貨物が運営する貨物列車の発着はない。1922年(大正11年)の駅の開設時より、日本国有鉄道(国鉄)やその前身組織など一つの事業者により運営されてきたが、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際し、駅の旅客営業をJR東海が継承し、貨物営業をJR貨物が継承したため、2社が共有する現在の形態になった。駅は小田原市の下曽我地区にある。駅開業時は駅名と同名の村(下曽我村)があったが、1954年(昭和29年)に小田原市に統合された。またJR東海管轄の在来線の駅では、最も東にある駅となっている。1番線北側に、木造で蔵造り風の駅舎が置かれている。この駅舎は太平洋戦争中に空襲で被弾したこともあるが、修理・改修されて使用されている。駅舎とホーム間の移動用に、1番線の下を通る地下通路が設けられている。 | |
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@下曽我駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。ホームの北側は上り列車が使用する1番線、南側は下り列車が使用する2番線である。1番線には上下両方の信号機が設置されており、御殿場方面発で当駅で折り返す列車の設定も可能。そのため御殿場線で運用される313系電車には下曽我行きの方向幕が用意されているが、2010年3月現在定期列車ではそのような列車は設定されていない。ホームは御殿場線内としては長めであるが、屋根が設置されているのは地下通路付近の2両分のみである。基本的に、列車の国府津寄り2両が屋根のある場所に停車する。この屋根のある部分と、その上大井寄りに位置する屋根のない部分3両分、合計5両編成分にホーム嵩上げなどのバリアフリー工事が施されている。 | |
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@奇祭「曽我の傘焼まつり」ここ曽我の里は、歴史的遺跡や遺物が何気なく、日々の暮らしの中に、溶け込んでいる里であり、日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ちゆかりの地です。建久4年(1193年)5月28日、源頼朝が催した富士の裾野の巻狩りで、兄弟は父の仇討ちを成就しました。そのとき傘を燃やして松明にしたという故事にちなんで毎年5月28日、曽我氏の菩提寺「城前寺」で兄弟の供養の為、「曽我の傘焼きまつり」が行われています。その時、兄 十郎祐成22才、弟 五郎時致20才でした。この仇討ちは民衆に広く知れ渡り、「曽我物語」が生まれ、江戸時代に歌舞伎や謡曲、浄瑠璃等で曽我物として演じられ、人々の心をとらえ、今もその人気は変わっていません。 | |
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@下曽我駅のロータリーに有る観光案内看板。 | |
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@ミイラ?拉致された人(笑) | @下曽我駅東西連絡通路。 |
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@下曽我駅東西を繋ぐ地下道に絵が描かれている。 | |
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@下曽我駅東西を繋ぐ地下道に絵が描かれている。 | |
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A永塚踏切より撮影。 | |
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A永塚踏切のこの藪の部分が譲原砂利採取線跡。 | |
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B譲原砂利採取線跡。藪が多くて解りづらいが、御殿場線から見ると廃線跡と解る場所。 | |
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C十二天踏切より撮影。左写真右側、右写真左側が廃線跡。 | |
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Cここに橋梁が有ったのであろうか? | |
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D廃線跡に枕木が残っている。 | |
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Dこの橋は水道橋で上は水路になっている。幅の広い方は御殿場線。狭い方は譲原砂利採取線跡。 | |
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D廃線跡に枕木が残っている。 | |
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E梅林踏切から撮影。 | |
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E梅林踏切から撮影。ここから譲原砂利採取線は酒匂川方向へ分かれて行く。 | |
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E譲原砂利採取線跡。 | |
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F譲原砂利採取線跡。 | |
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G譲原砂利採取線跡。 | |
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H譲原砂利採取線跡。この辺は周りの田圃より高く築堤になっている。 | |
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I譲原砂利採取線跡。関口橋。この橋は付け替えられた様だ。 | |
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J譲原砂利採取線跡。 | |
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K譲原砂利採取線跡。この辺は若干割堀になっている。 | |
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L鬼柳用水路に架かる、北畑橋。 | |
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M譲原砂利採取線跡。 | |
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Nさるのこしかけ?それにしては白すぎる? | N譲原砂利採取線跡。 |
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O譲原砂利採取線跡。 | |
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P譲原砂利採取線跡。 | |
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P譲原砂利採取線跡。 | |
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Q譲原砂利採取線跡。 | |
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R譲原砂利採取線跡。この先が砂利の積み込みの駅だったと思われる。小田原木工団地。 | |
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R土手の向こうは酒匂川。ここから砂利を採取していた。 | |
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S酒匂川。ここから砂利を採取していた。川石がごろごろしている。 | |
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S水防用玉石:この玉石は、川の増水による堤防の洗堀や亀裂の防止に用いる蛇籠積み工法、四ッ枠工法に使用する鉄線蛇籠の中に詰込むもので、水害の際に素早く対処できる様に常に準備してあるものです。 | |
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