更新日時 2011年01月30日

 東京都港湾局所有の専用線が豊洲・晴海方面へ伸びていたが1989年に廃止された。一部軌道跡や鉄橋などが残っているが近年では豊洲の一部地区の再開発などに伴い次第に消えつつある。東京港湾を管理する東京都港湾局が敷設した、東京都の専用臨港鉄道で、東京港湾に出入りする貨物を運ぶのを主たる機能とする鉄道。深川・晴海線と呼ばれる路線は、江東区塩浜二丁目の国鉄越中島駅(現在のJR越中島貨物駅)を起点として西へと伸び、晴海や豊洲の各埠頭の間とを結んでいた。東京都専用線から、民間会社専用の分岐線もいくつか作られ、それぞれの会社の敷地内へと引き込まれていた。
 @越中島貨物駅(えっちゅうじまかもつえき)は、東京都江東区塩浜二丁目18-3にある東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)総武本線越中島支線の駅である。現在、当駅を発着するのは、構内にあるJR東日本東京レールセンターから発送されるレールを輸送するため、JR東日本が運行する工事列車と、JR貨物が他社より受託しているレール輸送用の臨時列車のみである。したがって、貨物駅としては既に機能していないが、現在でもJR貨物は新小岩操から当駅までの第二種鉄道事業者のままである。かつて設定されていたJR貨物による定期貨物列車は1997年に廃止になっている。かつては当駅より先、東京都港湾局所有の専用線が豊洲・晴海方面へ伸びていたが1989年に廃止された。一部軌道跡や鉄橋などが残っているが近年では豊洲の一部地区の再開発などに伴い次第に消えつつある。
@レール輸送専用 チキ。 @東京レールセンターの凸B型ディーゼル機関車。
家の庭に飾りたい機関車です。
A越中島貨物駅から東京都港湾局所有の専用線が豊洲・晴海方面へ伸びていた。
B越中島貨物駅から東京都港湾局専用線はここで分断されている。
C東京都港湾局専用線の線路が残る。
D東京都港湾局専用線の線路が残る。
D首都高9号深川線を渡る所は完全に線路は撤去されているが、その先からは再び廃線跡が続く。
E東京都港湾局専用線の廃線跡は道路横断するところは消滅している。
E道路を渡り、川を渡るところまでは、線路が残る。
E川を渡るところに橋台が残る。
 浜崎橋より東京都港湾局専用線の橋梁が架かっていたところを見る。  F対岸にも橋台跡が残るが工事で消滅してしまいそうだ。
F東京都港湾局専用線の廃線跡。
G東京都港湾局専用線の廃線跡。駐車場に転用されている。
H東京都港湾局専用線の廃線跡。駐車場に転用されている。
I東京都港湾局専用線の廃線跡。駐車場に転用されている。
I豊洲運河を渡るところに橋台が残る。
 J朝凪橋より豊洲運河の橋台跡を見る。観光船が通っているが、橋台の高さから昔は観光船が通れなかったのではないかと推測する。
K川を渡ると豊洲北小の裏が東京都港湾局専用線の廃線跡。
K東京都港湾局専用線の廃線跡にレールのモニュメントが残る。
L東京都港湾局専用線の廃線跡。この辺で晴海線と豊洲線に分かれていた。
M東京都港湾局専用線晴海線の廃線跡
M地図に鉄道橋の記述がある。(春海鉄道橋?)←漢字の間違いだと思われる。
 N晴海運河を渡る東京都港湾局専用線晴海線の晴海橋梁。開床式の鉄橋で、下路式鋼アーチ橋の一種、ローゼ桁と呼ばれる構造をしている。
 N銘板では晴海橋梁と書かれているので間違いないであろう。発注者は東京都港湾局、設計は日本国有鉄道東京工事局、施行はオリエンタルコンクリート株式会社、鉄橋製作は石川島重工業株式会社。
竣工は昭和32年11月26日。
O対岸から晴海橋梁を見る。
O東京都港湾局専用線晴海線の廃線跡。
P東京都港湾局専用線晴海線の廃線跡。
P東京都港湾局専用線晴海線の廃線跡。この辺にヤードが有ったようだ。
Q東京都港湾局専用線晴海線の廃線跡。
R晴海埠頭の線路跡の地図が残る。 R晴海埠頭の廃線跡。
R東京都港湾局専用線晴海線の晴海埠頭の廃線跡。レールの痕跡が残る。
Rレールを撤去しないで、そのままアスファルト舗装をしたようだ。
S東京都港湾局専用線晴海線の晴海埠頭の廃線跡。レールの痕跡が残る。
S東京都港湾局専用線晴海線の晴海埠頭の廃線跡。レールの痕跡が残る。
S東京都港湾局専用線晴海線の晴海埠頭の廃線跡。この辺が1号上屋終点辺りと思われる。
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廃線探索 東京都港湾局専用線