更新日時 2011年01月26日

 築地市場引込線は、東京都中央区築地にあった日本国有鉄道(国鉄)の東京市場駅(貨物駅)へ汐留駅から分岐していた東海道本線の貨物支線であった。東京市場駅は汐留駅の貨物ホームの脇から分岐していた全長1.1km、単線の貨物支線の終点にあった地上駅。東京都中央卸売市場築地市場の外周に平行して大きなカーブを描いて線路が敷設されていた。市場の線路脇は、貨車から直接荷卸しができるようにプラットホームのような構造になっており、1度に40両の貨車から荷役作業が可能であった。取扱品は水産物、青果物などの生鮮食品で、市場を発着するものを専門に取り扱っていた。また、1966年10月1日のダイヤ改正からは、新開発された高速運転対応冷蔵車のレサ10000形貨車を使用、九州・中国地方を発駅とする特急貨物鮮魚貨物列車「とびうお」や、北海道・三陸地方を発駅とする鮮魚貨物列車「とうりん」の運行が開始された。1935年の築地市場の開場の同日に開業した東京市場駅であったが、トラックの普及や高速道路網の整備などのため取扱量が減少。1984年1月31日14時30分、DE10 1553の牽引する最終列車の発車を最後に廃止された。
@新橋駅前のD51機関車の動輪及び鉄道唱歌の碑。
A旧新橋停車場。
 A創業時の線路:創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は小石や砂の混じった土を被せられ、レールの頭だけが地表に出ていました。レール断面は上下対称のI型で、双頭レールといいます。この復元軌道の半分は小石を被せて当時に近い状態を再現し、残りは枕木や台座が見えるようにしました。双頭レールは錬鉄製で、1973年にイギリスのダーリントンで作られ、官設鉄道で使われた後、新潟県柏崎市の精油所で使われたもので、新日本石油株式会社、新日本石油加工株式会社の両者からご寄贈いただきました。
 0哩標識:1870年4月25日(明治3年3月25日)測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれました。1936年(昭和11年)に日本の鉄道発祥の地として0哩標識と約3mの軌道を復元しました。1958年(昭和33年)10月14日、旧国鉄によって「0哩標識」は鉄道記念物に指定され、1965年(昭和40年)5月12日、「旧新橋横浜鉄道創設起点跡」として国の指定史跡に認定されました。
Bこの辺から旧新橋駅(旧汐留駅)構内跡。
Cゆりかもめ汐留駅付近。「旧新橋駅(旧汐留駅)構内跡」
 D浜離宮前踏切:所在地 中央区銀座八丁目21番1号先:この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。最盛時には、1日150両に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止とともに引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。昭和62年(1987)12月
 D元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。汐留駅は、我が国の鉄道開業当時における始発駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に貨物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当たり捨て去られるのにもしのびず、東京都中央卸売場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。昭和62年(1987)12月
E築地市場引込線廃線跡。
 F築地市場引込線廃線跡。新尾張橋:この場所は江戸時代尾張徳川家の築地下屋敷の有った場所です。敷地内に、水運のために入堀を設け、江戸における尾張藩の物流の拠点となっていました。明治時代になると海軍の施設となり、関東大震災後は東京都中央卸売市場築地市場等の用地となりました。尾張橋は、この地点から下流約100mの場所に江戸時代初期(寛文=1661年〜72年)のころから築地川に架橋され築地と銀座を結んでいましたが、その後、道路計画により新大橋通りの道路敷となり、昭和40年はじめ撤去消滅しました。この橋は、築地市場の再整備にあたり、汐留から市場への鉄道引込線を一般区道に改修することになり、新たに鉄道橋を道路橋に架け替えたものです。掛け替えにあたり尾張橋の名を残すために、橋の名を新尾張橋と命名したものであります。
G築地市場引込線廃線跡。
H築地市場引込線廃線跡。
I築地市場引込線廃線跡。
J築地市場引込線廃線跡。
K築地市場引込線廃線跡。
L築地市場引込線廃線跡。
M築地市場引込線廃線跡。
 1954年3月1日、米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被爆した第五福龍丸から水揚げされた魚に一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷した。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ破棄されました。全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。この様な核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子供達と共に、この歴史的事実を記録する為にここにプレートを作りました。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 築地市場引込線