更新日時 2022年01月16日
小樽市総合博物館は北海道小樽市手宮1丁目にある北海道の歴史や自然、鉄道をはじめとした交通、科学などに関する展示を行う博物館である。2007年(平成19年)7月14日、色内(いろない)にあった小樽市博物館と緑にあった小樽市青少年科学技術館(2006年12月閉館)の機能を統合し、手宮駅にあった第三セクター運営の小樽交通記念館(2006年3月閉館)の施設を活用する形で発足したもので、旧小樽交通記念館の施設に事務機能を集約し、本館とした。なお、旧・小樽市博物館は運河館と改称された。小樽市総合博物館は、1956年(昭和31年)、色内にある旧日本郵船小樽支店を利用し設立された博物館である。設立当初は美術を含む人文・自然を対象とした博物館であった。その後1963年(昭和38年)に、日本の鉄道開業85周年を記念して当時の日本国有鉄道が設置した北海道鉄道記念館を分館として運営を行った。その後、鉄道記念館は1992年(平成4年)11月から一時閉館し、小樽市を事業主体として改装のうえ、1996年(平成8年)に展示範囲を海運や陸運にまで拡大して総合的な交通博物館として再オープン、小樽交通記念館に改称した。第三セクターの株式会社小樽交通記念館により運営されていたが、利用者の減少などのため2006年(平成18年)3月で閉館した。小樽市博物館は2007年(平成19年)7月14日に、小樽市青少年科学技術館との機能統合にともない旧小樽交通記念館跡地に移転のうえ小樽市総合博物館と改称しオープンした。同年9月にはツール・ド・北海道2007の出発点となったほか、この年より小樽クラシックカー博覧会 in 小樽市総合博物館が開催されている。施設は、北海道の鉄道発祥の地である旧手宮線・手宮駅の構内敷地5.8haを利用して設置されており、鉄道・科学・歴史館、蒸気機関車記念館、鉄道車輌保存館の3つの屋内施設の他、屋外展示場があり貴重な鉄道車両などが保存展示されている。現存する日本最古の機関庫で鉄道記念物である鉄道車輌保存館をはじめとして、道内に存在する準鉄道記念物8件のうち12件が、当館の所蔵である。 | |
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小樽市総合博物館(2021年08月07日撮影) | |
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リストランチ トレノ。2021年11月3日閉店(2021年08月07日撮影) | |
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しずか号。7100形はかつて日本国有鉄道の前身である鉄道院、鉄道省に在籍したテンダー式蒸気機関車。1880年(明治13年)の北海道初の鉄道(官営幌内鉄道)の開業にあたり、アメリカ合衆国から輸入された蒸気機関車。この機関車は番号の他に歴史上の人物(北海道絡みが多い傾向)にちなんだ愛称を付されていることでも知られる。1 - 6には番号順に、「義經(義経/よしつね)」「辨慶(弁慶/べんけい)」「比羅夫(ひらふ)」「光圀(みつくに)」「信廣(信広/のぶひろ)」「しづか(静/しづか)」と命名されている(1889年製の2両は無名)。(2021年08月07日撮影) | |
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「い1」は、1908年(明治41年)8月7日から15日まで、韓国皇太子の北海道行啓の際、御乗用とされた経歴がある。また、1910年(明治43年)10月19日付けで、室蘭の日本製鋼所に貸し付けられ、工場完成式典の来賓輸送用として使用された。フコロ5670は1928年(昭和3年)、定山渓鉄道に譲渡され、同社のコロ1として貴賓用に使用された。太平洋戦争中からは豊羽鉱山専用鉄道で通勤輸送に使用されたが、1962年(昭和37年)に廃止となった。翌年、日本国有鉄道(国鉄)に寄贈されて苗穂工場で「い1」に復元の上、北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館本館)で保存展示されている。同年、準鉄道記念物に指定され、2010年(平成22年)には鉄道記念物に昇格されている。1892年(明治25年)手宮工場製。(2021年08月07日撮影) | |
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キハ82 1(2021年08月07日撮影) | |
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C5550(2021年08月07日撮影) | |
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ED76 509(2021年08月07日撮影) | |
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手宮口転車台:旧小樽築港機関区転車台(2021年08月07日撮影) 転車台の「大友式転車台牽引装置」尺取り虫の様な動きが可愛い(YouTube動画リンク) |
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キハ 03 1日本国有鉄道(国鉄)が1954年(昭和29年)から製造した閑散線区用の小型気動車(レールバス)閑散ローカル線の収支改善と増発のため、バスの設計を鉄道車両に応用して製造されたもの。全長10 m余りの車体にバス用のディーゼルエンジンを搭載した二軸車で、1954年(昭和29年)に試作車4両を木原線で使用開始、以後1956年(昭和31年)までに計49両が日本各地のローカル線に投入された。製造は全車両とも東急車輛製造が担当した。大手バス車体メーカーとしても知られた富士重工業は国鉄レールバスに影響を受けた形で、バス用規格鋼材を使用するなど、より徹底したバス部品を流用した設計の二軸機械式気動車を、羽幌炭礦鉄道キハ11(1959年〈昭和34年〉3月)、南部縦貫鉄道キハ10形(1962年〈昭和37年〉)と続けて製造しているが、国鉄レールバスの製造には一切携わっていない。(2021年08月07日撮影) | |
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第1号除雪車(2021年08月07日撮影) | |
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7150(大勝号)もとは北海道炭礦鉄道が1895年(明治28年)に自社の手宮工場で1両を製造し、1906年(明治39年)に制定された鉄道国有法により、官設鉄道に編入されたものである。官設鉄道の神戸工場で1893年(明治26年)に製造された860形に次ぐ日本における国産第2号機関車であり、現存する最古の国産機関車として知られる。北海道炭礦鉄道ではH形(30)、後にト形と称した。完成時に日本が日清戦争に勝ったことを記念して、大勝(たいしょう。機関車への標記は「大勝號」)の愛称が付されている。(2021年08月07日撮影) | |
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7150(大勝号)(2021年08月07日撮影) | |
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キ718(2021年08月07日撮影) | |
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キ752(2021年08月07日撮影) | |
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キ601(2021年08月07日撮影) | |
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キ601(2021年08月07日撮影) | |
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キ800(2021年08月07日撮影) | |
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キ800(2021年08月07日撮影) | |
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DD14 323。国鉄DD14形ディーゼル機関車は、1960年に登場した、日本国有鉄道(国鉄)の除雪用ディーゼル機関車(ロータリー式)である。1960年から汽車製造、1972年の汽車製造合併後は川崎重工業(大阪工場3両・大阪工場閉鎖後は兵庫工場が17両製造)が製造を引き継ぎ、1979年までに43両が製造された。基本型の0番台が8両製造された後、減速機を改良し、台車をDT113Aから一体圧延車輪を採用した改良形のDT113Gに変更した300番台が1966年から製造された。従来、ラッセル車により線路脇に除けられた雪は、キマロキ列車の運転により遠方に跳ね飛ばしていたが、DD14形は、これを1両でまかなうことを目的として、入換用に広く使用されていたDD13形ディーゼル機関車を基本として開発されたものである。(2021年08月07日撮影) | |
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DD14 323(2021年08月07日撮影) | |
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DD15 37。DD15形ディーゼル機関車は、1962年(昭和37年)から日本国有鉄道(国鉄)が製造した液体式除雪用ディーゼル機関車(ラッセル式)である。入換用ディーゼル機関車であるDD13形の111号機以降をベースに開発された除雪用ディーゼル機関車で、1962年から1966年(昭和41年)にかけて50両(1 - 46, 301 - 304)が日本車輌製造で製造された。大型のプラウ形ラッセル装置を機関車本体の前後に装備する構造で、1両での除雪作業を可能とした。従来の雪かき車キ100形・キ550形を機関車で推進していた作業法に比して、専用の車両や折り返し地点での方向転換作業を不要とした。ラッセル装置を外せばDD13形と同等の入換機として使用可能であり、通年使用が可能な除雪車として車両運用効率の向上に寄与した。ラッセル装置装着時の軸重が 15.5 t に達し、一部の線区で使用できないこと、ラッセル装置の脱着にクレーンを要し冬季は一般運用との兼用が困難であることから、ラッセル装置を台車つきの前頭車としたDE15形ディーゼル機関車が開発されるとともに製作を終了した。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化にあたっては、19両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に、13両が西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された。(2021年08月07日撮影) | |
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DD15 37(2021年08月07日撮影) | |
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キ270(2021年08月07日撮影) | |
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ロキ1567(2021年08月07日撮影) | |
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ロキ1567(2021年08月07日撮影) | |
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アイアンホース号:ポーター製の2-6-0テンダー式蒸気機関車。1993年(平成5年)に米国のテーマパークから購入。1909年製で、2009年(平成21年)8月に生誕100年祭が行われた。2017年10月に溶け栓の膨張により火室への水漏れが確認され運行を停止。その後2018年4月に大阪府のサッパボイラに移送し修理され、7月15日に博物館に戻り23日より通常運行を再開(2021年08月07日撮影) | |
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アイアンホース号(2021年08月07日撮影) | |
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DD13 611。国鉄DD13形ディーゼル機関車は日本国有鉄道(国鉄)が製造した入換用液体式ディーゼル機関車。ヤード構内での車両入換作業に用いることを主目的として開発された機関車である。本形式が製造される以前、車両の入換作業には明治・大正時代から戦前にかけて製造されたB6形や、9600形、8620形等の古豪蒸気機関車が使用されていたが、都市部では煤煙による周辺環境への悪影響が、国鉄部内でも機関車自体の老朽化、動力費と人件費の増加などが問題視され始めていた。しかし、その当時、国鉄が保有していた入換用ディーゼル機関車は、DD11形およびDD12形(アメリカ製)の10数両のみで、それらはいずれも出力は300 PS級にとどまっており、ヤード構内での入換には力不足であった。そこで、動力近代化計画の一環としてDD11形より出力を増強し、入換用として適切な出力を備えたディーゼル機関車が計画された。こうして1958年(昭和33年)から製造されたのが本形式である。入換のほか、支線などでの小運転に用いることも想定された。蒸気機関車を置き換える入換機関車の決定版として量産されたが、規模の大きなヤードで使用するには不向きであること、軸重が14 tとローカル線(丙線)での運用には大き過ぎるうえ、客車暖房用の蒸気発生装置を持たないという欠点もあり、DD20形の試作を経て、1966年(昭和41年)にこれらを解消したDE10形が、さらにこれを基に入換用途に特化したDE11形が開発されたことから、1967年(昭和42年)を以って製造が中止された。(2021年08月07日撮影) | |
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DD16 17。DD16形ディーゼル機関車は、1971年に登場した日本国有鉄道(国鉄)の小型液体式ディーゼル機関車。国鉄はディーゼル機関車による無煙化を進めていた。しかし、軌道構造の弱いローカル線(簡易線)では軸重が12tに制限されているので、DD13形やDE10形は入線できないか、たとえ入線できても大幅な速度制限を受けたため、蒸気機関車のC12形やC56形が依然として運用される結果になった。そこで、これらの線区に残存した蒸気機関車の置き換え用として、簡易線向け設計のDD16形が開発されることになった。1971年から1975年にかけて国鉄長野工場(現・長野総合車両センター)・日本車輌製造・川崎重工業大阪工場(大阪車両部・1975年廃止)で65両が製造された。(2021年08月07日撮影) | |
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DD16 17(2021年08月07日撮影) | |
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キハ27 11 キロ26 107 キハ56 23(2021年08月07日撮影) | |
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小樽市総合博物館 手宮口ゲート | |
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小樽市総合博物館敷地図 | 転車台 |
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転車台 | 転車台 |
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手宮口からの風景 | C126機関車 |
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冬期間(11月5日〜4月28日)は展示車両の内部は見学が出来ず、展示車両もカバーが掛けられている。 | |
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小樽市総合博物館敷地内 | 北海道鐵道開通起点 |
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DD1617 | 敷地内より手宮口方面を見る |
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機関車庫1号 | 冬期期間は展示車両はカバーが・・・ |
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機関車庫1号左側、右側の足場が掛かっているのが、機関車庫3号。機関車庫3号は明治18年(1885年)竣工のレンガ造り建築。国内に現存する機関車この中では最古です。隣接する機関車庫1号、危険品庫、貯水槽、擁壁、転車台とともに国の重要文化財に指定されています。 | |
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ラッセル車 | |
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ラッセル車 | 蒸気機関車資料館 開いてない・・・ |
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鉄道・科学・歴史館 | 明治13年から明治22年の間にアメリカで製造し輸入された蒸気機関車8輌のうち名称のついた6輌の製造銘板 |
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しずか号 | 信広号 |
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光圀号 | 比羅夫号 |
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弁慶号 | 義経号 |
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一等客車 い1号 | しづか号 |
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開拓使号:1880年(明治13年)、第1号機関車「義経号」、第2号「弁慶号」とともにアメリカから輸入された最上等客車で、当時は「1号客車」と呼ばれていました。内部には飲水器、水洗トイレ、ストーブ、ランプなどが備えられ、中央の両側には鏡がかけられていました。おもに開拓使や明治政府の高官、皇族などの専用車両として使用されました。 現在、埼玉県の鉄道博物館に保存されています。 鉄道博物館リンク |
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手宮高架桟橋:北海道の石炭を本州各地に輸送するための船積み作業は人力に頼っていました。それを能率的に進めるため、新桟橋の建設が検討され、1911年(明治44年)に石炭を満載した石炭車を高い桟橋上まで運び、そこから下に停泊する船舶に直接落とし込む、画期的な桟橋が完成しました。 長さ313m、高さ20m、幅23mの壮大な桟橋は、使命を終える1944年(昭和19年)まで、手宮のシンボルとして親しまれました。 |
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幌内鉄道の開業:1880年(明治13年)11月28日、幌内鉄道(手宮〜幌内)のうち、手宮〜札幌間35.9Kmの開通運転式が札幌で行われました。そして1882年(明治15年)11月13日に手宮〜幌内間91.2Kmが全通し、翌1883年9月17日に札幌において盛大な幌内鉄道開業式を行いました。 開業当時の停車場は手宮・開運町・銭函・札幌・江別・幌内太・幌内で、このほかに数カ所のフラッグステーションがありました。 |
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試運転:1880年(明治13年)10月24日に手宮から熊碓トンネルまで4.8Kmが建設されると、「弁慶号」によって試運転が行われました。これはその時入り船陸橋の上に停車した姿の写真をもとに再現しました。 橋の上には日米の国旗と紅白の幕で飾られた「弁慶号」とクロフォードなど鉄道建設に関わった人々の姿が見えます。一方生まれて初めて蒸気機関車を見る周辺の人々は、驚きと不安をもちながら見上げています。 |
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北海道開拓史当時の鉄道敷設の模型 | |
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北海道開拓史当時の鉄道敷設の模型 | |
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北海道開拓史当時の鉄道敷設の模型 | 北海道開拓史当時の鉄道敷設の写真 |
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手宮駅構内:1880年(明治13年)、トベイ号が鉄道資材をアメリカより運んできて以来、手宮の海岸には鉄道やその建設に関する車庫、倉庫などが次々に建てられました。そして、幌内からの石炭輸送だけにとどまらず開拓物資の輸送にも大きな力を発揮し、貴重な輸送基地として発展しました。このパノラマ模型は1890年代の手宮駅構内を再現した物です。 | |
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手宮駅構内パノラマ模型 | |
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手宮駅構内パノラマ模型 | |
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機関車の銘板 | 北海道の軽便鉄道:軽便鉄道とは、線路幅が日本の標準幅(1067mm)より狭い鉄道で、森林鉄道や北海道特有の殖民軌道(戦後は簡易軌道)を含めた小型の鉄道をいいます。例外はありますが、比較的短距離路線で地域に密着した鉄道でした。特に殖民軌道は、北海道開拓に大きく貢献しました。 |
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恵庭森林鉄道(インクライン) 恵庭森林鉄道廃線探索リンク | |
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開拓史の鉄道風景 | 簡易軌道標茶線 |
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岩内馬車鉄道 | 上川馬車鉄道 |
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士別軌道(蒸気機関車) | 開拓史の鉄道風景 |
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機関庫から転車台に出てくる模型・・・実際にボタンを押すと各機関車が出てきます。 北海道の蒸気機関車:1880年(明治13年)、「義経号」・「弁慶号」から始まる蒸気機関車の歴史は、1976年(昭和51年)に一線をを退くまで、北海道の歴史そのものでした。「義経号」「弁慶号」「しずか号」などの7100形や北海道炭礦鉄道の主力の7200形、9000形などはアメリカ製、北海道鉄道の7800形はイギリス製でした。鉄道の国有化以降は国産の9600形やD51形、C62形が主力となり活躍することとなりました。 |
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美唄鉄道 | 簡易軌道 |
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北海道拓殖鉄道 | 簡易軌道 |
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殖民軌道 | 森林鉄道 |
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寿都鉄道 | 森林鉄道 |
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夕張鉄道 | 十勝鉄道 |
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定山渓鉄道 | 北海道の私鉄(道東部) |
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北海道の私鉄(道北部) | 北海道の私鉄(道西部) |
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鉄道標識:鉄道標識(てつどうひょうしき)とは、列車に対して運転条件などを示すものの一つである。日本の「鉄道に関する技術上の基準を定める省令(以下技術基準省令とする)」では、信号・合図・標識に分類している。この省令において標識は、係員に対して、物の位置、方向、条件等を表示するものと定義している。また、この規定には当てはまらないため厳密には標識ではないが、運転上の目標や線路に関する情報が書かれたものを標ということがある。 標識・標の様式・形状は各鉄道事業者により異なる。日本全国の標識すべてを紹介することは無理があるので、本項では特記なければ鉄道に関する技術上の基準を定める省令の解釈基準(以下技術基準省令の解釈基準とする)に定められた標識を中心に日本の国鉄・JR各社で使用されているものを中心に記述する。大手私鉄を中心に比較的よく見られる標識も解説する。系列関係にある私鉄同士(京成電鉄と京成グループ各社、阪急電鉄と能勢電鉄など)、あるいは系列でなくとも地理的に近い私鉄同士(関東鉄道と茨城交通、近畿日本鉄道と三岐鉄道など)では、同じデザインの標識を使用しているケースが見られる。 この項目で特に断りなく白色灯と書いてある場合は、厳密な白ではなく電球色を表している。 |
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鉄道標識 | 勾配標:勾配標は線路の縦断勾配を示すものであり、縦断勾配の変化点に設けられる。勾配の大きさは千分率(パーミル、記号‰)をもって示し、水平に1000メートル進んだときの高低差(メートル)に相当する。小数点以下の数字は、整数の部分より一回り小さく表記される。勾配が0、すなわち水平のときは、水平を意味するLevelの頭文字Lを表記する。基本的に複線の場合は下り線の進行方向左側、単線の場合は下り列車の進行方向左側の線路際に設置されるが、複線であっても上下線が離れている場合などは上り線の進行方向右側の線路際にも設置される場合がある。 裏の黒い腕木がここまでの勾配、柱が現在地点、手前の腕木がここからの勾配を表している。例えば、裏の腕木が水平で手前の腕木が下向きならここまで水平・ここから下り勾配であり、2本の腕木が共に上向きならここまで下り勾配・ここから上り勾配である。 |
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速度制限標識:速度制限標識は、曲線や設備の都合上、列車の速度を制限しなければならない箇所を示す標識である。列車はこの標識がある地点までに表示された制限速度以下に速度を落とさなければならない。 | 曲線標:曲線標は平面線形(線路の平面的な形状)に関する情報を示しており、円曲線(円弧)と緩和曲線の境界部の線路脇に設置される。具体的には表に円曲線の半径、裏にカント量、スラック量、円曲線の長さ、緩和曲線の長さが書かれている。なおカント量はC(Cantの略)、スラック量はS(Slackの略)、円曲線の長さはCCL(Circle Curve Lengthの略)、緩和曲線の長さはTCL(Transition Curve Lengthの略)とそれぞれ表現されている。 |
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距離標:その路線の起点からの距離を示す。甲号・乙号・丙号の3種があり、甲号と乙号には大きさや形状等に規定があるが、丙号に大きさ等の規定は無い。基本的に複線の場合は下り線の進行方向左側、単線の場合は下り列車の進行方向左側の線路際に設置されるが、複線であっても上下線が離れている場合などは上り線の進行方向右側の線路際にも設置される場合がある。また複線の場合、青で縁取られた○の中に甲号に当たるものには距離の数字が、乙号に当たるものには0.5と書かれたものが、上下線の中央に立てられていることもある。この場合、丙号に当たるものは青で縁取られた□の中に1〜4、6〜9の数字が1つずつ書かれており、同じく上下線の中央に立てられている。 甲号距離標 1km毎に設置される。キロポストとも呼ばれる。1.2m程度の白い柱で、側面に黒い文字で距離の数字が縦に並べて書かれている。0km地点の距離標は独特の形状のものもある。 乙号距離標 0.5km単位の位置に設置される。0.9m程度の白い柱で、側面に「1/2」と大きく、柱の下方に小さくkm単位の距離の数字が書かれている。 丙号距離標 0.1km単位の位置に設置される。大きさや形状等に規定が無いため、会社や支社により形状は異なる。一般的に100mの位の数字が大きく書かれ、km単位の距離の数字は小さく書かれているか省略されている。 |
車輌接触限界表:ここを超えるとほかの車両と接触する場所であることを示す。線路の分岐箇所や交差箇所で、ほかの車両と接触する箇所に設置される。一般的には甲号が設置されているが、降雪地方には乙号が設置されている。「クリアランスポイント」とも呼ぶ。 |
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