更新日時 2017年05月26日

四国鉄道文化館
 四国鉄道文化館は、愛媛県西条市に所在する鉄道保存展示施設である。施設は公益財団法人日本ナショナルトラストが建設し、西条市が同財団から管理運営を受託しており、南北に2館の展示施設が設けられている。2007年(平成19年)11月26日、伊予西条駅東側の隣接地に現在の北館が開館した。2008年(平成20年)11月20日に入館10万人を突破し、2009年(平成21年)11月時点では入館14万人を突破している。2014年(平成26年)7月20日、予讃線を挟んだ南側に新たな展示施設として南館が開館した。それに合わせ、開館時から所在する展示館の名称を「北館」とし、現在の施設群となった。入場料は大人300円、小人100円(個人の場合、団体扱いの場合は大人240円、小人80円)。北館は木造の展示館内に2両の保存車両(下記参照)と、四国で使用された鉄道用品・資料が展示されている。新幹線のカットボディとDF50形の保存車両が目玉となっている。館内は土足禁止となっており、入館の際は玄関でスリッパに履き替える。南館は北館からは伊予西条駅を挟んだ位置にある(「ぽっぽ橋」という名称の跨線橋で連絡)。屋内にC57形蒸気機関車44号機、DE10形ディーゼル機関車1号機、キハ65形気動車の3両、また屋外にフリーゲージトレイン第二次試験車両の先頭車1両が保存展示されている。C57形の運転席とキハ65形の車内は常時公開。このほか、館内にはジオラマが展示されていて通常30分毎に動かされる。また、ミニSLが設置されている。
@四国鉄道文化館の外観と内部。
 @この車両は、昭和51年(1976年)に製作され、大きな窓が特徴です。JR博多総合車両所で、平成12年(2000年)10月の引退まで山陽新幹線の「こだま」として活躍していました。その走行距離は、約1020万qで、地球を約255周したことになります。もとは、JR四国がJR西日本から譲り受けたもので、完全な形だと約26mありますが、ほぼ半分に切断された、この車両の長さは約12mです。平成12年(2000年)12月に多度津工場に運ばれ、保存・展示されていました。現役時は4両編成で走行しており、博多方面の先頭車両でした。一方東京方面の先頭車両は「22-141」で、その車両は完全な形で、イギリス・ヨークの国立鉄道博物館に展示されています。なお、0系新幹線電車で海外に展示されているのは、この相方だけです。
 @電気式ディーゼル機関車とその1号機(準鉄道記念物)鉄道車両の近代化や輸送量の増加に対応するために、蒸気機関車に替わる主力機関車として昭和32年に登場した車両です。スイスやドイツの会社から協力を得て作られたDF50形は、ディーゼルエンジンで発電機を動かし、更にそれでモーターを廻して走るしくみとなっていました。登場した年から昭和38年までの間に138両が作られたDF50形は、昭和58年に運用が停止されるまで、予讃本線や土讃本線をはじめ、北海道をのぞく全国各地の路線で活躍し、鉄道の無煙化やスピードアップに貢献しました。また、DF50形の登場に自信を持った国鉄(現在のJR)は、昭和50年までに鉄道を電化及びディーゼル化することによって、全ての蒸気機関車を廃止する計画を立てました。この「DF50形 1号機」は、昭和32年に新三菱重工三原製作所で作られて、高松機関区に配置された車両です。その後、敦賀、長野、米子の各機関区を経て昭和42年に再び高松機関区に配置されました。昭和58年9月25日「さよならDF50土佐路号」として最終の運転がなされるまで、地球を約67周に相当する260万qの距離を走りました。引退後はJR四国多度津工場で大切に保管されていました。日本でただ1台、走行可能な状態で保存されているこの「DF50形 1号機」は、昭和58年に「準鉄道記念物」に指定された大変貴重な車両です。
@DF501銘板。(2010年12月撮影) @DF501運転席。(2010年12月撮影)
@DF501の内部を見やすくしているのは良いが、原型のまま保存して欲しかった。(2010年12月撮影)
@パンタグラフの展示。(2010年12月撮影) @タブレット閉塞装置。(2010年12月撮影)
@軌道自転車。(2010年12月撮影) @展示の鉄道模型。(2010年12月撮影)
@急行いよのヘッドマーク。(2010年12月撮影)
@蒸気機関車用ホイッスル。(2010年12月撮影) @DF50形機関車貸与記念プレート。
@0系新幹線記念乗車証。(2010年12月撮影) @ブルーリボン賞受賞プレート。(2010年12月撮影)
@JR四国の駅長帽。(2010年12月撮影) @「旅路」で活躍した9633号機関車の銘板。
@伊予西条駅銘板。 @各種サボ等。
@四国で活躍した主な蒸気機関車。 @四国で活躍した主な機関車。
@四国鉄道文化館裏の伊予西条駅構内に繋がる線路。(2010年12月撮影)
 Aフリーゲージトレイン:日本における軌間可変電車は、走行する軌間の幅に合わせて線路上を走行可能な試験電車。フリーゲージトレイン(Free Gauge Train, FGT)ともいうが、これは和製英語で、英語では Gauge Changeable Train または Gauge Convertible Train (GCT) という。日本では、主に標準軌(1435mm)と狭軌(1067mm)の両方の線路上を走行可能な車両を開発すべく、国土交通省の施策で日本鉄道建設公団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構)の委託によりフリーゲージトレイン技術研究組合が開発を進めている。軌間可変は鉄道車両が異なる軌間の線路へ直通することができる機構であり、車輪を車軸方向にスライドさせる台車を搭載した車両を、軌間の異なる線路を接続するように設置された軌間変換装置を通過することで軌間を変更できる。この技術を用いれば、標準軌の新幹線と狭軌のままの在来線を直通運転する列車を運行できる。また、乗換えが不要となり、利用者の負担軽減を図ることができる。フル規格新幹線に対しては所要時間の面で格段に劣るが、新規路線の建設用地確保が不要であるため建設コストや建設期間は大幅に抑えることができる。また、ミニ新幹線のように改軌による在来線のネットワークの寸断も生じない。このため、実用化に至れば、新在直通乗り入れという同じ効用を得るためのコストが、格段に軌間可変電車のほうが優れている。新規のミニ新幹線が建設される可能性は低くなる。ただし、十数年かけてもなお実用化のめどは立っておらず、開発費が嵩んでいる。これまでの試験車両の試験結果では、新幹線区間では目標を達成しているものの、在来線の曲線区間において、既存の特急列車との速度差は最大で40km/hにもなる。その後新たに開発された新型台車も振動や速度に問題があり、台車の改良は断念された。国土交通省は、この問題の解決のために継ぎ目の少ないレールを導入するとしている。ただ、これはあくまでもレールの継ぎ目を溶接してロングレール化することである。九州新幹線(長崎ルート)(武雄温泉 - 諫早)は、軌間可変電車の実用化を前提として工事が進められているが、開業予定の2022年度までに実用化できる目処が立たず、在来線と新幹線を乗り継ぐ「リレー方式」で2022年度内に暫定開業する予定である。
Aフリーゲージトレインの心臓部。
A四国鉄道文化館南館。 Aレールの種類。
A線路に石が敷かれているのはなぜ? Aアーチ橋とトラス橋。
A四国鉄道文化館南館内にはジオラマが展示されていて通常30分毎に動かされる。
 AC57 44(従前は西条市内の公園に展示されていて「春雷号」と呼ばれていた)製造1938年(昭和13年)3月30日、走行距離336万8561.1km(地球約84周)。1937年(昭和12年)、C55形の63号機として製造が始められた機関車であるが、改良箇所が多岐に及んだため、検討の末に新形式とすることが決定され、C57形蒸気機関車として誕生をしている。1947年(昭和22年)までの間に201両が量産された。本形式への信頼も高く、C51形に始まるライトパシフィック機の決定版となった。
 Aキハ65 34(多度津工場より移管) - 急行「いよ」のヘッドマークを装着している。製造1970年(昭和45年)6月22日。1969年ー1972年の間に造られた104両の一つ。国鉄では1961年から急行列車用にキハ58系の大量製造を行った。このグループについては1960年代中期以降、冷房装置の搭載が本格化した。しかしキハ58系は走行用DMH17Hディーゼルエンジンが低出力であるという根本的問題を抱えており、急勾配線で運用される場合には、走行用エンジンの基数確保と冷房電源供給エンジン搭載スペース確保との相反する制約に伴う、出力不足の問題が顕著となった。この問題に対応するため、勾配路線のキハ58系急行列車編成に増結してブースター的な役割を与え、なおかつ冷房用電源の問題を解決する目的で、試作車のキハ91形を基本に開発されたのが本形式である。
Aキハ65 34の車内。
 ADE10 1(多度津工場より移管)製造1966年(昭和41年)10月13日。1966年ー1978年の間に造られた708両のうちの1号機。ローカル線の貨客列車牽引や入換用途を主目的として開発された。1966年(昭和41年)から1978年(昭和53年)までに合計708両が製作され、日本各地のローカル線で蒸気機関車を置き換え、動力近代化を促進した。
A距離標(T号) A距離標(U号)
A勾配標。 A徐行予告信号機。
A徐行信号機。 A徐行解除信号機。
A徐行解除目標。 A速度制限標識。
A車止標識。 A動輪展示。
A入換信号機識別標識。 A特殊信号発光機(回転式)
A中継信号機(灯列式・従属信号機) A遠方信号機(色灯式・従属信号機)
A場内・出発・閉塞信号機(色灯式・主信号機) A伊予西条駅名標。
B西条市民公園に設置してあった伊予西条駅銘板とC5744蒸気機関車。(2010年12月撮影)
 Bこの蒸気機関車は、西条市が日本国有鉄道から恒久的に借り受けたもので十河信二氏(西条市名誉市民元西条市長)の雅号にちなみ「春雷号」と名付けました。この「春雷号」は、C57型の蒸気機関車で、その姿の美しさからSLの「貴婦人」と呼ばれており、昭和13年3月30日に三菱重工神戸造船所でつくられ昭和13年4月5日に東京局高崎機関区に配属されて以来、東京・仙台・札幌・室蘭と東北地方や北海道を走る急行列車の機関車として活躍し、昭和51年3月末に廃車となりました。この間に「春雷号」が走った距離は、3,368,561.7qで、これは地球の赤道を約84回まわったことになります。この「春雷号」は市民の皆様のご協力によりこの公園に設置されることになったものです。(2010年12月撮影)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『西条市』を掲載」