更新日時 2011年01月03日
別子銅山記念館(べっしどうざん きねんかん)は、愛媛県新居浜市にある博物館。元禄年間から約280年もの長きにわたって日本の貿易・産業を支え、現在の住友グループの礎となり昭和48年にその幕を閉じた別子銅山の歴史や技術を後世に伝えるために、1975年(昭和50年)に住友グループ各社が共同で設立した。別子銅山のお膝下で、住友各社が生まれ今も主力工場が多く立地する愛媛県新居浜市の南部、山根地域にある。ここは市の平野部と山岳部の境界にあたり、付近はかつて銅山で働いていた従業員のための社宅や厚生施設などが集積した地である。現在は住宅や総合運動公園などが整備され、市民の生活・憩いの場として重要な位置づけをされている。その山根の厚生施設跡に整備された山根公園の南部にある大山積神社の境内に記念館はあり、山の斜面を利用した半地下構造で屋根には1万本を越えるサツキが植えられており、周囲の景観を損ねることなく溶け込んだ雰囲気となっている。館内は銅山や住友の歴史を紹介するコーナーや、銅山およびその周囲の地質などを鉱石・模型などを用いて説明するコーナー、当時の生活を紹介するコーナーなどで構成されており、単なる資料館の域を越えた立派な博物館として整備されている。また館外には明治期の近代化に一役買った日本初の山岳鉄道である鉱山列車「別子1号」や各車両の現物が展示されている。その充実した展示品、施設の保存維持管理には多額の経費がかかるであろうが、この記念館の入場料は無料であり住友グループの資金などにより運営されている。その点だけを見ても特異な施設であり、いかに住友各社が別子銅山を特別・重要なものとして意識しているかを伺わせる。積極的な宣伝活動をしていないが、年間1万人以上が来館している。 | |
別子銅山記念館入口。 | この銅山を神として仰ぎ幾代かも掘りつぎて来しことの畏こさ 住友吉左右衛門 友成 |
江戸時代の銅製品など。 | K.S銅。 電気角銅。 |
諸国銅山見分控。 | 別子銅山開坑300年記念品。 |
我が国最初の沈殿銅。 | 大型秤量器。 |
鉱石。 | 別子絵図? |
別子地域の模型。 | |
電気銀(模造品) | 電気金(模造品) |
別子−佐々連−白滝鉱山地域地質図。 | |
鬼瓦。 | 江戸時代の坑内作業者の道具類。 |
消火設備。 | 鉱山関連用品。 |
鉱山関連用品。 | |
第4通洞。 | 肥料製造所。 |
坑木を運ぶ馬。・日浦(和30年) | 燃料用薪の運搬・日浦(昭和30年) |
呉木社宅と子供達。(昭和34年) | 呉木とりこわし(昭和43年) |
屋外展示品、ロッド?と鉱石? | |
別子1号機関車:この機関車は、別子銅山で明治25年(1892年)にドイツ・ミュンヘン州、クラウス製造所から鉱山専用鉄道用に購入されたものです。蒸気機関車としては、松山市梅津寺パークに保存されている「坊ちゃん1号機関車」とともに、四国における鉄道開発初期のものとして、新居浜地方の産業発展のため走りつづけました。尚この鉱山専用鉄道は昭和4年(1929年)から地方鉄道としての営業を開始、ついで昭和17年(1942年)には、国鉄新居浜駅との間に連絡路線が増設されて、物資の輸送をあわせて、広く一般の人々の利用をみてきました。昭和25年(1950年)に幹線が電化され、その後廃車になったこの機関車は、愛媛県立新居浜工業高校に、教材として保管展示されていましたが、「別子銅山記念館」の建設にあたって、同所に移設して、永久保存されることとなりました。 | |
鉱山専用鉄道 電気機関車(ED-104号)昭和25年(1950年)鉄道電化の後、鉱石輸送増強のため日立製作所より部品を購入して、別子事業所で組み立てた自社製電気機関車。 | |
坑内牽引6トントロリー電車。 | 鉱山関係の車両。 |
大型四角鉱車。 | かご電車。 |
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