更新日時 2011年05月05日

 浅野セメント二俣尾駅専用線:青梅鉄道は1908年(大正7年)には二俣尾の雷電山も買収して生産の拡大を図る。この年に浅野セメントも川崎工場を建設して生産の拡大を企図した。そこで浅野セメントは原料確保のために1920年(大正9年)両地域の採掘権を青梅鉄道から買収し、翌年、市内に青梅採掘事務所を設置した。1920年(大正9年)青梅鉄道(現・青梅線)、日向和田駅〜二俣尾駅間開業。日向和田の貧鉱化に伴い1920年から雷電山も開坑したが、1927年には閉鉱し、日向和田も1945年に閉鉱した。また,黒沢山は1907年に浅野セメントによって買収され,翌年開鉱したが,その翌年には閉鉱され、成木の白岩山は1924年に買収されて1927年に開鉱し、30年には閉鉱するなど,次々に鉱山が開発され転移していった。そのなかで現在も引続き青梅市内で採鉱されているのは、成木の梅ケ平鉱山である。梅ケ平は1928年に浅野セメントが採掘権を得て翌年開鉱し、同29年にも開通した南武線によって川崎工場へ送られたが、1941年には採掘場も工場も浅野セメントと日本鋼管が共同出資した日本高炉セメントとなり、戦後の1949年にはともに第一セメントになった。現在は奥多摩工業が引き継いで約50万m2の土地から石灰石及び砕石を採掘し、石灰石は瑞穂の化工場で使われている。二俣尾駅でそこから北側へ山裾へ回り込む線が専用線跡。1929年に開鉱した梅ヶ平石灰山から索道・インクラインを経て二俣尾から浅野セメント川崎工場へ石灰を輸送した。1964年廃止。専用線跡がとぎれるところから山の谷間に沿ってインクライン跡。そのさらに北側の採掘所からインクラインまでは至る所で索道の遺構が見られる。
浅野セメント黒沢専用鉄道リンク 青梅鉄道 宮ノ平駅専用線リンク
 @二俣尾駅(ふたまたおえき)は、東京都青梅市二俣尾四丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)青梅線の駅である。
 @二俣尾駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。駅舎は橋上駅舎で1989年4月1日に竣功したとみられる。青梅駅管理の簡易委託駅で、午後のみ受託者が勤務(午前中は日向和田駅で勤務し午後は当駅に移動してくる)するが、自動券売機はほぼ終日利用可能である。出札窓口のあるところから跨線橋が南北に伸びており、それぞれ北口、南口となる。旧来からの木造駅舎は南口側にあり、現在でも南口側がメインとなっている。木造の旧駅舎は現在の駅舎の使用が開始されてからもしばらく残されていたが、現在は撤去されている。簡易Suica改札機設置駅。かつて、奥多摩駅側に延長約200mほどの専用鉄道(引込線)があったほか、その先には連続循環の専用索道が雷電山の先の成木(なりき)まで敷設されており、雷電山から採掘された石灰石を積み出すため使用されていた。
A青梅線西条踏切より撮影(起点より23.726q)
A青梅線西条踏切の脇に浅野セメント二俣尾駅専用線の廃線跡が残る。
B青梅線茶道ガードに浅野セメント二俣尾駅専用線の鉄橋が残る。
C浅野セメント二俣尾駅専用線跡。
D浅野セメント二俣尾駅専用線の線路が残っていました。
E浅野セメント二俣尾駅専用線のポイントが有りました。このポイントは動きます。
 F浅野セメント二俣尾駅専用線の鉄橋が残る。鉄橋の銘板が残るが、読取不能。SANKO?三光?合資会社?
G浅野セメント二俣尾駅専用線のちょう架線とドロッパが残る。
H浅野セメント二俣尾駅専用線の線路が水没している。
H息子がローアングルで撮影している場面。
  H浅野セメント二俣尾駅専用線と登山道の間の道。左側の谷が浅野セメント二俣尾駅専用線と架線柱が残る。
I浅野セメント二俣尾駅専用線の終点施設跡。ここにホッパー施設が有った。
I浅野セメント二俣尾駅専用線の終点施設跡。プレートや梯子が残る。
I浅野セメント二俣尾駅専用線の終点施設跡。
I浅野セメント二俣尾駅専用線の終点施設跡。架線柱の基礎か?
I浅野セメント二俣尾駅専用線の終点施設跡。ホッパーが有った場所あたり。
@登山道の水路を渡る橋の横にレールの橋梁跡?が残る。
@浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)からの第一インクラインの設備跡が残る。
@浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第一インクライン跡。
A浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第一インクライン跡。
B浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第一インクライン跡。
C浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第一インクライン跡。割堀。
DJR古里線21号に至登山道と第一インクライン跡の合流地点。
E浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第一インクライン上部のホッパー設備跡。
E浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第一インクライン上部のホッパー設備跡。
E浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第一インクライン上部の貯鉱設備跡。
Eインクラインの基礎? E貯鉱設備?
F浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第二インクライン跡。
F浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道の鉄塔が残る。
G浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第二インクライン跡。小屋跡が残る。
H浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第二インクライン跡。
I浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第二インクライン跡。
I浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第二インクライン跡。ウインチ用の基礎が残る。
I浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の第二インクライン跡上部の平坦地。
J浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道跡。索道のワイヤーシーブが残る。
K浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道跡。
L浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道跡。索道のワイヤーシーブが残る。
L浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道跡。索道のワイヤーシーブが残る。
L浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道跡。油壺に蟻が・・・
M浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道跡。
N浅野セメント梅ヶ平石灰山(現在は奥多摩鉱業)の索道跡。奥多摩鉱業の梅ヶ平石灰山が見える。
O奥多摩鉱業青梅採掘場入口。
P奥多摩鉱業青梅採掘場通用門。
Q奥多摩鉱業青梅採掘場
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浅野セメント二俣尾駅専用線