更新日時 2011年08月22日

 三井串木野鉱山軌道:1906年(明治39年)、採算が悪化していた西山鉱区を買収する形で三井鉱山の進出が始まった。1912年(明治45年)に羽島鉱山を買収し、1914年(大正3年)3月には全泥式青化精錬法を日本で最初に導入している。1928年(昭和3年)に当時休山となっていた芹ヶ野金山の譲渡を受け、1934年(昭和9年)には芹場鉱山の再開発を始めた。1950年(昭和25年)に神岡鉱業(後の三井金属鉱業)の傘下に入ったが、1964年(昭和39年)4月に三井串木野鉱山として独立した。1974年(昭和49年)に荒川鉱山を買収した。1988年(昭和63年)11月には坑道跡を利用したゴールドパーク串木野が開園したが、2003年業績低迷のため閉鎖。その後は酒造メーカーが貯蔵庫として坑道の一部を使用している(薩摩金山蔵)。1994年(平成6年)以降、鉱山での採掘は行われていないが、精錬所において他鉱山で産出した鉱石の精錬や産業廃棄物からの貴金属回収を行っている。主な鉱山は、北西から羽島鉱山、荒川鉱山、西山鉱区、芹ヶ野金山、芹場鉱山の順に並んでいる。大きな鉱脈は、北西から羽島金山、荒川鉱山、串木野1号ヒ(西山坑)、串木野15号ヒ(芹ヶ野金山)などと呼ばれる。最大の串木野1号は幅3-60メートル、上下450メートルで長さ2600メートルに及ぶ日本有数の金鉱脈だった。ローラーつきのパンタグラフが特徴の三菱電機製トロリー電気機関車(8t)で鉱石を運搬。西山坑の鉱石を、串木野1号西端の野下坑口(ゴールドパーク)を経て、約2.5㎞先の三井串木野鉱山製煉所の頂部まで運搬した。
 今から約350年も昔、薩摩藩、第19代大守島津光久公の頃に鉱脈が発見され、ひと頃は、日本一の産金量を誇っていた串木野金山。江戸時代初期以来、薩摩の財政を支え、明治維新の原動力となったといわれるその存在は、数々の物語を私たちに語り、伝えてくれます。古来より金鉱山とマグロ遠洋漁業の町として全国にその名を知られ、日本三大砂丘に数えられる吹上浜北端に位置する鹿児島県いちき串木野市。薩摩金山蔵は、いちき串木野市の中心部から程なく山手に進んだ自然の中にあります。薩摩金山蔵では、串木野金山の350年に亘り掘り続けられた総延長120キロメートルにもおよぶ坑道に、甕仕込みと甕貯蔵の蔵を構えております。かつては醤油や味噌のように自家製で造られていたことから、酒作りは女性の仕事でした。金山蔵では、その当時、明治以前の焼酎作りをコンセプトに掲げ、女性の杜氏「女杜氏」を中心に仕込みを行っております。製法も、江戸時代まで行われていたどんぶり仕込み(原料、麹、酵母、水を同時に仕込む方法)、カブト釜式蒸留器を蘇らせました。これら、昔の業(わざ)を伝える仕込みの様子は、坑道内の仕込蔵で実際にご覧いただけるようになっております。また、坑道内は1年を通して20℃前後という一定した気温に保たれ、地下ということもあり紫外線はゼロ。焼酎作りだけでなく、濵田蔵置場1,000リットル甕がずらりと並ぶ貯蔵にとっても、良い環境が整っているのです。これほど地下深くに仕込蔵を持つ蔵も世界唯一、薩摩金山蔵だけです。
金山蔵の観光トロッコ列車。
金山蔵から三井串木野鉱山方向へ軌道とが続く。
100mほど歩くと三井串木野鉱山軌道のレールが残っている。
軌道脇にトロッコの台車が放置されている。
三井串木野鉱山軌道跡が切り通しを抜ける。
 JRの境界杭が有る。JR文字の字体が若干おかしい気がしたが、この先に旧国鉄の「工」マークの境界杭が有ったので、JRの境界杭に間違いないであろう。直ぐ下に鹿児島本線が走っているため、鹿児島本線の境界杭かとも思ったが、写真でも解るように、三井串木野鉱山軌道の両脇に境界杭が有るため、三井串木野鉱山軌道はJRが管理していたのか?
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。旧国鉄の境界杭。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡の隧道。金山蔵側。こちらの坑口はコンクリートのポータルになっている。
三井串木野鉱山軌道跡の隧道内。
三井串木野鉱山軌道跡の隧道。製錬所側。こちらの坑口は素堀のまま。
三井串木野鉱山軌道跡。列車の交換場所があったようだ。
三井串木野鉱山軌道跡。列車交換場所の合流ポイント部分。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。 コンクリートプラントが見える。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。串木野鉱山の湧水を精錬所に送水しているポンプ?
三井串木野鉱山軌道跡。横の配管は鉱山の湧き水を送水しているのか?
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山軌道跡。
三井串木野鉱山。インクライン脇の建屋にレールが延びる。
三井串木野鉱山のインクライン設備のレールが残る。
三井串木野鉱山のインクライン設備のレールが残る。
三井串木野鉱山の設備。
 五反田会館:大正3年に発電所として建築され、今では珍しい煉瓦建築。現在会館として集会などに利用されている。
 三井金属グループの一員である三井串木野鉱山株式会社は、東シナ海に面する鹿児島県いちき串木野市の串木野鉱山を原点とする貴金属製煉会社です。 串木野鉱山は350年以上の歴史を持つ金鉱山で、これまでの累計総産出金量は約56tにのぼり、国内第4位を誇っています。三井金属グループは、明治39年に三井鉱山合名会社として串木野鉱山の経営を開始し、すでに百年以上にわたり地域に根差した事業を続けています。現在は知覧町赤石鉱山での金鉱石採掘、我国唯一の全泥青化製煉工場による金銀回収を始め、長年の経験と技術を生かして金銀・インジウムなどレアメタル・貴金属リサイクルの事業を展開している。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『いちき串木野市』を掲載」
出典: 三井串木野鉱山株式会社
廃線探索 三井串木野鉱山軌道