更新日時 2012年10月01日

 久根鉱山軌道:久根鉱山は享保16年(約240年前)に開坑されたと伝えられている。明治32年2月古河市兵衛氏が譲受け同35年2月より出鉱、「久根鉱山」で採掘された鉱石は、久根で精錬されていました。そのため、精錬の煙が草木を枯らすなどの鉱害問題が深刻化し、足尾銅山の古河市兵衛が買い取ってからは、鉱石を西鹿島まで運び、そこから鉄道輸送によって足尾に運び、足尾で精錬することにしたのです。全盛期は大正6年頃で、当時は約2000人が鉱山に従事した。当時の鉱石は3%以下は捨てられ4〜6%の塊鉱のみを搬出した。その時、鉱石を満載して西鹿島まで天竜川を下ったのが「鉱石船」と呼ばれる帆掛船。その数250艘、船頭600人、1艘で約4トンの鉱石が積まれたとのこと。昭和9年(1934)、三信鉄道が開通してからは、久根から「中部天竜」駅ま空中索道で1日100トンの鉱石を運びました。当地は良質な銅鉱を約240年もの間産出し昭和45年(1970年)11月に古河機械金属精錬所久根鉱山が閉山するまで操業しました。往時の施設はすでになく、現在でも坑口から出る鉱廃水の処理施設が稼動している。
@国道473号線のこの目印から入る。 A入って直ぐに天竜太郎鍛冶の家がある。
A天竜太郎鍛冶。 B選鉱場の屋根?
C久根鉱山の入口。
C岩に横穴が開いている。火薬庫か?
Dガードレールの柵に古いレールが使われている。だからガードレール(笑)
E久根鉱山のトロッコ軌道。坑口から選鉱場まで続いていたと思われる。
F久根鉱山のトロッコ軌道。坑口から選鉱場まで続いていたと思われる。
G久根鉱山のトロッコ軌道。坑口から選鉱場まで続いていたと思われる。
G中和処理をした排水は沈殿池へ。
H昔は坑口までトロッコ軌道が続いていたと思われる。
I坑口から湧き出た揚水に苛性ソーダを混ぜると茶色になるようだ。
J道路脇の側溝は坑口から湧き出ている揚水の側溝。
K救護隊の小屋のようだ。中は現在資材置き場になっている。
L久根鉱山の鉱山口。絶えず坑口から揚水が湧き出ている。
Lトロッコ軌道のトロッコ台車の残骸が残る。
L作業小屋か? L久根鉱山の作業員用風呂の跡。
H沈殿池。 M苛性ソーダ水溶液はここから搬入している。
N遠鉄の久根バス停時刻表。 O資源環境センター久根事業所。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『浜松市』を掲載」
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古河機械金属精錬所久根鉱山軌道