更新日時 2013年08月06日

鉱山軌道 明神電車(一円電車)
 明神電車(一円電車)は、かつて兵庫県大屋町(現・養父市)・朝来町(現・朝来市)の明延鉱山にあった鉱山用軌道。明延(あけのべ)と神子畑(みこばた)を結ぶことからその名がついた。鉱石の輸送を目的に敷設された。本来は神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道とワンセットの上部軌道に位置づけられていたが、道路整備で下部軌道は早期(1957年)に廃止され、上部軌道に当たるこちらのみが残された。1912年の明延 - 神子畑間の索道(延長 5.75 km)設置に始まり、1918年には輸送力増強のために軌道の敷設が計画され、途中に立ちはだかる山々を貫通する3本のトンネルの掘削工事が開始されたが、難工事のために翌年一旦中断された。その後1927年に工事が再開され、1929年に最大の難工事となった明神第三隧道(延長 3,937 m)の工事が完成し、同年4月より坑内軌道で使用されていた4t級電気機関車と1t積鉱車による鉱石輸送が開始された。さらに、戦時体制下にあって戦略資源としての錫鉱石の重要度が増大した1941年には軌間の変更(改軌)が行われた。これにより、坑内軌道と同じ 500 mm 軌間から 762 mm 軌間へ拡幅され、輸送力の大幅な強化が実現した。鉱石列車のほかに、鉱山関係者の便宜を図って人車も1945年から運行された。この時、当初は運賃無料であったのが、1949年から50銭、1952年から1円を徴収するようになった。その運賃はその後、1985年10月の人員輸送廃止まで変わらなかった。「一円電車」と呼ばれる所以はここにある。なお、登山客へも10円の料金を徴収して開放していた事があり、その後は関係者かどうかに関係なく運賃を1円に統一した。しかし、1960年代にマスコミで「運賃が1円」ということが取り上げられた結果、興味本位の部外者の乗車が増え、その中には運行を妨害するような者も少なからずいたことから、業務に支障が出るという本末転倒の事態になり、部外者の乗車を禁止せざるを得なくなった(しかし、その後は関係者の判断で乗車できることもあった)。鉱山鉄道としては重軌条化、プッシュプル方式の電気機関車の無線操縦による総括制御など、合理化と輸送力強化がキャパシティの限界まで徹底されていた。その一方で、自社工場製の電動客車(白銀・赤金)や客車(くろがね・わかば・あおば)による人員輸送も、代替交通機関が存在しなかった事から最後まで継続した。円高の進行で錫鉱山としての国際競争力が低下し、明延鉱山が1987年に閉山となったことに伴い、明神電車も廃線となった。なお明神電車は全長約 6 km でほとんどがトンネル区間となっており、軌間 762 mm・直流 550 V 電化であった。なお、その歴史的経緯から坑道内の 500 mm 軌間を採用した軌道と敷地を共用していた区間が一部にあり、ここは三線軌条となっていた。500 mm 軌間の区間には非電化と電化の区間が両方あり、バッテリー式機関車と電気機関車が併用されていた。
 生野銀山前に展示されている明延・1円電車。昭和4年養父郡大屋町の明延鉱山と朝来郡朝来町の神子畑選鉱場の間6.1qに鉱石輸送のための明神電車が開通しました。昭和20年この鉱石運搬電車に、従業員とその家族の交通の便をはかるため初めて客車が連結され登場したのがこの電車です。最初の料金は50銭でスタート、昭和27年に1年に改訂、昭和62年3月明延鉱山の閉山により神明電車が廃止されるまで長期間料金1円のまま据置き有名になりました。1円電車の客車は3輌有り、くろがね号・わかば号・あおば号と命名され、長年に亘り地域住民の足として重宝がられました。本来の使命を終えたあと、くろがね号は大屋町明延の現地に残り、わかば号は神子畑選鉱場跡でまた、あおば号は、かって兄弟鉱山であった生野の地に居を移し、それぞれの地で観光に一役買うことになったものです。
 @新井駅(にいえき)は、兵庫県朝来市新井字中川原にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の駅である。かつては隣駅の生野駅と並んで急行「但馬」の停車駅であったが、廃止後は、普通列車のみが停車する駅となった。生野駅が特急「はまかぜ」の停車駅に昇格したのとは対照的である。
 @新井駅構造は相対式ホーム2面2線を持ち、交換設備を有する地上駅。駅舎は和田山方面行きホーム側にあり、反対側の寺前方面行きホームへは跨線橋で連絡している。福崎駅管理の簡易委託駅で、早朝と夕方以降は無人となる。かつて2面3線を有していたが、1線は撤去された。 駅舎と1番ホームの上屋には「明治34年8月」表記の建物財産標が付けられている。2000年当時、山陽鉄道の社紋の入った瓦が駅舎に使われていた。当初は単純な切妻屋根だったが、1937年(昭和12年)の改修で現在の姿になった。
@神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の新井駅の積み替え場所だったと思われる。
A神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。播但線の新共踏切より撮影。
B神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。この辺から播但線と分かれて行く。
C神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。
D神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。
E神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。
E神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。下部軌道の隧道が残る。
E神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。下部軌道の隧道が残る。
F神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。
G神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。
H神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。
H神子畑鋳鉄橋と記念碑。
H神子畑鋳鉄橋。
H当時の下部軌道。 H神子畑鋳鉄橋
H明神電車の下部軌道・上部軌道の路線図が記載されている。
I神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。
I神子畑 - 新井(国鉄播但線)間の下部軌道の跡。神子畑川に架かる清水橋の欄干に機関車のモチーフ。
J明延鉱山の神子畑選鉱場跡。ここで下部軌道と上部軌道(1円電車)と接続していた。
J明延鉱山の神子畑選鉱場跡。インクラインのレールが残る。下部軌道と上部軌道を繋いでいた。
J明延鉱山の神子畑選鉱場跡に軌道のレールが残る。
J明神電車(1円電車)この車両は「道の駅あさご」に展示されていた車両を移設した。客車わかば号。
J明神電車(1円電車)内の様子。
J明延鉱山の神子畑選鉱場の当時の写真。
 J神子畑選鉱場跡。最初はこれが明延鉱山に繋がる明神電車のトンネルと思ったが、調べてみると先ほどのインクラインの上部にトンネルの入口があるようだ。
J神子畑選鉱場の隣には神子畑小学校跡が残る。
J神子畑小学校は昭和47年4月1日をもって山口小学校に統合された。(石碑より)
K明延鉱山の坑口。坑口から選鉱場までは、トンネルが続いていたが、こちらの坑口は閉塞している。
K明延鉱山の体験坑道リンク
L明延鉱山の体験坑道出口。(現在は一部危険な箇所があるため、入口へ戻る)
 L架線式電気機関車:鉱石、作業員などの輸送の主役は、この架線式電気機関車です。機関車の種類は、用途により重量4トンから10トンまでありました。線路の軌間は762mmと500mmの2種類でした。明延鉱山では18輌の架線式電気機関車があったと記録されています。鉱石の運搬には、10t電気機関車と5トングランビー鉱車30輌の列車を重連方式により、選鉱場のあった神子畑まで約6q間を輸送していました。ここに展示されているNo15の電気機関車は尾去沢鉱山(秋田県鹿角市)より転用してきたもので、国産の電気機関車では初期のものです。(昭和13年、三菱電機製造)
 Lこの電車は「赤金号」と呼ばれ、客車専用の電車です。前輪と後輪の大きさが違うのが特長です。自重3トン。速度9.5q/時。牽引力340s。出力8.95Kw。明延鉱山工作課製造。
L3トン蓄電池機関車(日本輸送機製造)。2トン蓄電池機関車(日本輸送機製造)。蓄電池人車。
M明延鉱山のKから続いていた軌道用のトンネル出口。
M明延鉱山の軌道用トンネルから明延鉱山の中心地へ続く軌道跡。
M明延鉱山の軌道の先にはトンネルが見える。
M明延鉱山の中心地。インクラインの軌道跡が見える。
Nあけのべ自然学校に展示されている鉱山用のバッテリーロコと鉱車。
O旧協和会館前に展示されている明延鉱山で使用されていた車両。白銀号と電気機関車No.18。
P明延鉱山で使われていた明神電車(一円電車)くろがね号。
Pイベント用の「一円電車明延線」月1回程度イベントで動きます。
Q旧軌道跡を利用した、トロッコ体験用のレールが残る。現在は故障中。
R旧軌道跡を利用した、トロッコ体験用のレールが残る。
S以前の軌道はこのトンネルを抜けてズリ捨て場の方に抜けていた。
@旧軌道跡を利用した、トロッコ体験用のレールが残る。現在は故障中。
A旧軌道跡を利用した、トロッコ体験用のレールが残る。現在は故障中。
B旧軌道跡を利用した、トロッコ体験用のレールが残る。機関庫の中にはトロッコが入っている。
C旧軌道跡を利用した、トロッコ体験用のレールが残る。
D旧軌道跡を利用した、トロッコ体験用のレールはここでお終い。この先は選鉱場跡。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『養父市』を掲載」
出典: あけのべ自然学校