更新日時 2019年06月04日
蔵王鉱山軌道:蔵王鉱山とは、かつて山形県上山市大字中川字永野に存在した鉱山。硫黄、硫化鉄鉱などを産出した。 起源は古いようであるが変遷は詳かではない。 明治30年代後半、蔵王鉱山合資会社が設立される。昭和16年には硫黄年産8,500トンとなる。戦後は藤山コンツェルン系の日東金属鉱山が経営。硫黄の採掘がピークを迎え、1950年代には従業員が約600人および家族が1,200人規模となり、企業城下町を形成した。しかし1960年代にはいると、海外からの輸入品に押され経営が次第に苦しくなった中、1962年12月に大規模な坑内火災が発生。事実上採掘が停止し、翌1963年(昭和38年)3月31日に閉山を迎えた。現在は、蔵王猿倉スキー場として利用されている。1996年には山神社の復元も行われた。 | |
@蔵王鑛山山神社。 | |
@蔵王鑛山山神社祠。 | |
A同業者の車やバイクかと思ったが、山菜採りに来ている地元の方だった。 | |
Bこの先は一般車両は通行止めだが徒歩ではOKのようだ。 | |
C林道の分岐部分。 | |
D平板のように割れる岩石。 | |
Eコンクリート製の貯水槽が残る。中で蛙が鳴いている。 | |
Fこの穴は産廃?それとも倉庫跡? | |
G蔵王沢の砂防ダム。。 | |
H蔵王鉱山の施設跡と蔵王沢の砂防ダム風景。 | |
I蔵王鉱山の施設跡。基礎の一部が崩壊してこの施設が何時まで原型を止められるか? | |
I蔵王鉱山の施設跡。索道の設備と思われる機材が転がっている。ドローンによる空撮。 | |
J蔵王沢の沢登り。 | |
K蔵王鉱山軌道のトロッコレールと抗口跡と思われる石積み。 | |
L抗口をドローンにより撮影したときには右写真も抗口と思ったが・・・ | |
L蔵王鉱山の抗口と思われた場所は抗口では無かった。 | |
L左側が蔵王鉱山の抗口であった。 | |
L航空写真で見えた穴はこの穴だった。 | |
L内部の灰色の岩石に硫黄の結晶が見える。 | |
L坑道内には氷柱と硫黄の結晶が見えた。マルチガス検知器を忘れたので、坑道内は長居をしなかった。少し頭が痛くなったので硫化水素があった可能性もあるので穴の中はやばいかも。 | |
L硫黄鉱石の結晶。 | |
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