更新日時 2023年04月25日

石津硫黄鉱山軌道
 石津硫黄鉱山軌道:当初は草津の旅館主霜田氏が所有し後に東京在住の小林氏が鉱区を買収し採掘を始めた。その後、今井長治氏が鉱業権を得て採鉱を続けたが軌道には乗らなかった。昭和7年7月北海道硫黄株式会社が買収し小串鉱山石津坑として発足。昭和10年度から探鉱を開始。昭和13年に鉱床の一部を発見するとただちに施設の建設を開始し、昭和15年11月製錬施設完成。昭和15年12月に初めて硫黄が生産された。昭和16年石津鉱業所として独立。しかし太平洋戦争中に硫黄鉱業整備令が出され再び小串鉱山の支山となる。その後次第に生産設備を拡充し昭和22年9月16日、再び石津鉱業所として独立。石津小中学校設立。石津鉱山は坑内から貯鉱場まで、そして貯鉱場から精錬窯までの運搬軌道化するなど、近代的鉱山として生まれ変わり、昭和35年の石津鉱山街は世帯数17戸、人口755人を数えるなど活況を呈した。昭和30年代半ば頃より鉱量の涸渇が懸念されてきたが、探鉱に努め昭和38年新たな城山鉱床を発見。昭和43年にはそれまでの主体であった米無鉱床の採掘は終了した。しかし城山鉱床もあまり開発が進まず、昭和46年6月30日閉山。
@ここから先は砂利道。
A白根林道石津支線草津営林署の小屋がある。
B本白根登山道方向へ。
C送電用の鉄塔が残る。
D監視小屋?
 Eこの場所から電柱沿いに進む。最初は鉄塔の所から藪を掻き分けて行ったが、帰りは楽な道があった。最初からこの道で行けば良かった。
Fドローンによる空撮。小川の先に抗口が見える。川の水は抗口から出ている。
G樹木の少ない場所の先に抗口が有る。
H城山坑の抗口。YouTube動画リンク
H城山坑の抗口から流れ出ている。水温は冷たかった。
H城山坑の抗口。
H城山坑の抗口から流れ出ている鉱泉。湯ノ花が沈殿している。
H城山坑の抗口は閉塞している。開いていても硫黄鉱山なので入らない。
H城山坑の抗口の奥にも抗口が見える。
I城山坑の奥の抗口。
I城山坑の奥の抗口。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『嬬恋村・草津町』を掲載」