更新日時 2020年12月27日

 住友セメント多賀鉱山:イワス原石山鉱山は滋賀県犬上郡多賀町にある鉱山跡。イワス山(岩巣山)の南に広大な採掘跡に大型のタンク跡やコンベア跡、破砕設備跡、コンクリート基礎跡などが散見される。1933年(昭和8年)8月昭和セメント株式会社設立し彦根工場操業開始。1939年(昭和14年)5月親会社の日本石綿盤製造株式会社(現・株式会社ノザワ)が吸収合併。1965年(昭和40年)1月野澤石綿セメント株式会社はセメント部門を分離し、滋賀興産株式会社を設立。住友セメントは1966年(昭和41年)6月滋賀興産株式会社を合併、滋賀興産多賀工場を継承。1975年(昭和50年)7月住友セメント多賀工場閉鎖。現役の住友大阪セメント多賀鉱山(滋賀興産多賀鉱山)とは別の場所に位置する。
@住友セメント多賀鉱山:イワス原石山鉱山へはこの場所を上がって行く。
A住友セメント多賀鉱山:イワス原石山鉱山へここを登って行く。ここから徒歩で行く。
A住友セメント多賀鉱山:イワス原石山鉱山への分岐部の石碑。
A住友セメント多賀鉱山:イワス原石山鉱山への分岐部に親切に標識が設置されている。
 B住友セメント多賀鉱山:イワス原石山鉱山への林道はこのような状態なので車での通行は不可。オフロードバイクであれば通行が出来ると思う。(2020年3月28日撮影)
B住友セメント多賀鉱山:前回に比べて整備された?(2020年10月24日撮影)
C住友セメント多賀鉱山の看板。住友セメント多賀鉱山と書かれていたプレートが剥がれている。
D住友セメント多賀鉱山のゲート(2020年3月28日撮影)
D住友セメント多賀鉱山の名称が残っている(2020年3月28日撮影)
E住友セメント多賀鉱山跡が霧で何も見えない(2020年3月28日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
住友セメント多賀鉱山跡空撮(2020年10月24日撮影)
F住友セメント多賀鉱山跡のコンクリート製の部屋(2020年3月28日撮影)
F住友セメント多賀鉱山跡のコンクリート製の機械室。廃油ピットがあるから危険物庫か?
F住友セメント多賀鉱山跡に散弾銃の薬莢が落ちていた。定期的に鳥獣駆除を行っているようだ。
G住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル(2020年3月28日撮影)
G住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル(2020年10月24日撮影)
G住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル(2020年10月24日撮影)
G住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル(2020年10月24日撮影)
H住友セメント多賀鉱山跡のメンテナンス車庫(2020年10月24日撮影)
H住友セメント多賀鉱山跡のメンテナンス車庫(2020年10月24日撮影)
H住友セメント多賀鉱山跡のメンテナンス車庫(2020年3月28日撮影)
H住友セメント多賀鉱山跡のメンテナンス車庫(2020年3月28日撮影)
 I住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年10月24日撮影)
 I住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 I住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 I住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 J住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 J住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 J住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 K住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル下部の部屋から横に伸びる坑道(2020年3月28日撮影)
 K住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル下部の部屋から横に伸びる坑道(2020年3月28日撮影)
K住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル下部の部屋(2020年3月28日撮影)
K住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル下部の部屋(2020年3月28日撮影)
K住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル(2020年3月28日撮影)
K住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル(2020年3月28日撮影)
 K住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミル。昭和28年5月製作なので日本石綿盤製造株式会社(現・株式会社ノザワ)の時代に設置されたようだ。銘板が歴史の証明になる(2020年3月28日撮影)
L住友セメント多賀鉱山跡の横穴。奥行きは殆ど無い(2020年3月28日撮影)
 M住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 M住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年10月24日撮影)
 N住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年10月24日撮影)
 N住友セメント多賀鉱山跡の鉱石破砕ミルから貯鉱タンクへのベルトコンベア(2020年3月28日撮影)
 N住友セメント多賀鉱山跡の貯鉱タンク(2020年10月24日撮影)
N住友セメント多賀鉱山跡の貯鉱タンク(2020年3月28日撮影)
N住友セメント多賀鉱山跡の貯鉱タンク(2020年3月28日撮影)
N住友セメント多賀鉱山跡の貯鉱タンクはリベット止めになっている(2020年3月28日撮影)
O住友セメント多賀鉱山跡の橋梁(2020年3月28日撮影)
P住友セメント多賀鉱山跡のトイレ(2020年3月28日撮影)
P住友セメント多賀鉱山跡にレールの残骸が残る(2020年3月28日撮影)
Q住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
Q住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
Q住友セメント多賀鉱山跡の施設。搬石班の部屋(2020年3月28日撮影)
Q住友セメント多賀鉱山跡の施設。搬石班の部屋(2020年3月28日撮影)
Q住友セメント多賀鉱山跡の貯鉱タンクから搬送コンベア(2020年3月28日撮影)
Q住友セメント多賀鉱山跡の貯鉱タンクから搬送コンベア(2020年3月28日撮影)
Q住友セメント多賀鉱山跡の貯鉱タンクから搬送コンベア(2020年3月28日撮影)
R住友セメント多賀鉱山跡の便所(2020年3月28日撮影)
R住友セメント多賀鉱山跡の便所(2020年3月28日撮影)
R住友セメント多賀鉱山跡(2020年3月28日撮影)
R住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
R住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
R住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設。炊事場?(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設。ここから索道で運ばれていた?(2020年3月28日撮影)
S住友セメント多賀鉱山跡の施設(2020年3月28日撮影)
東海道新幹線の索道跡の覆い(ストリートビュー画像を加工)
 東海道新幹線に索道の覆いが残っている。そのことからイワス鉱山の鉱石は住友セメント彦根工場に搬送されていたのではないかと推測する。(ストリートビュー画像を加工)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『多賀町』を掲載」
住友セメント多賀鉱山:イワス原石山鉱山