更新日時 2020年12月07日

滋賀興産多賀鉱山・四手貯鉱場
 滋賀興産多賀鉱山・四手貯鉱場:近畿地区有数の豊富な鉱量を誇る石灰石鉱山であります滋賀県の伊吹鉱山ならびに多賀鉱山で採掘しました良質な石灰石を、鉄鋼化学用石灰石やコンクリート用骨材(砕石、砕砂)および道路用路盤材等として販売。1933年(昭和8年)8月昭和セメント株式会社設立。1960年(昭和35年)3月東亜セメント株式会社を設立。1960年(昭和35年)6月東亜セメント多賀工場操業開始。1965年(昭和40年)12月セメント製造部門を住友セメントへ譲渡する準備として、滋賀興産株式会社を設立。1966年(昭和41)年4月住友セメントが滋賀興産を合併。住友大阪セメント株式会社の石灰石採掘事業を継承し2003年に滋賀興産設立。
@滋賀興産多賀鉱山。
A滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
A滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
A滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
A滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
B滋賀興産多賀鉱山。
B滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
C滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
C滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
C滋賀興産多賀鉱山。四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
D滋賀興産多賀鉱山へ続く廃道。
E滋賀興産多賀鉱山へ続く廃道。
F滋賀興産多賀鉱山へ続く廃道。
 G休憩所。犬上川北流の佐目地区は、石灰岩が形成する奇景な警告を呈しており、川の中央に鎮座する八畳岩鍾乳洞から湧き出る清流、そしてまぶしく光る緑の木々、自然の表情は豊かで、訪れる人の心にひとときの安らぎを与えてくれます。また、このあたりには風穴が数カ所あり、その一つから今からおよそ三千年前の縄文時代の生活跡が調査されています。この公園は、水辺空間整備事業の一環として川のメカニズムや変化に富んだ自然に親しみ、歴史の探索を展開し地域の活性化を図るため建設されたものです。
 G日タイへび供養塔。昭和55年夏にピストル密輸の隠れ蓑として使われたタイ国産のコブラ等70数匹の処分に困りこの辺りに捨てられたことが判明。地元では大がかりな蛇捕獲作戦が実施されたが、捕まったのは日本の蛇ばかり。その後冬となり熱帯産のため死滅と断定し結局終結宣言が出された。
H滋賀興産多賀鉱山へ続く廃道。
I滋賀興産多賀鉱山へ続く廃道。
 J佐目風穴。佐目地区にある佐目の風穴は犬上川上流左岸の断崖に開いた洞窟であり、別名「佐目のこうもり穴」とも呼ばれる洞窟である。総延長は 256 mあり、洞窟内部は入口に接しているやや大きな洞とこれに続くやや小さな洞のほか、さらに内奥部にいくつかの小規模な鍾乳洞が連続していると推定されるが、石筍の林立などにより先へ進むことが困難である。昭和 4 年(1929)に小牧実繁らにより発掘が行われ、入口に接している洞の中から縄文時代末期の土器片や貝魚類や哺乳類の遺骸が出土しており、縄文時代に洞窟内で生活していたと考えられる。
J佐目風穴を探したが埋まってしまったのか確認出来なかった。
K滋賀興産多賀鉱山へ続く廃道。
L滋賀興産多賀鉱山から四手事務所まで伸びるベルトコンベア跡。
M四手貯鉱場。以前は滋賀興産多賀鉱山からのベルトコンベアが伸び貯鉱場になっていた。
N四手貯鉱場。貯鉱場の選鉱設備があった。
N四手貯鉱場。多賀鉱山からの地下ベルトコンベア跡。
N四手貯鉱場。多賀鉱山からの地下ベルトコンベア跡。
N以前は四手貯鉱場より先の住友大阪セメント多賀工場までベルトコンベアが伸びていた。
O住友大阪セメント多賀工場跡。左下は住友大阪セメント滋賀サービスステーション。
この先は住友セメント多賀工場専用線が伸びていた。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『多賀町』を掲載」
出典:多賀町の概要