更新日時 2023年01月13日

松崎町のジオサイト室岩堂
 室岩洞:伊豆半島及びその周辺地域は、江戸時代初期の築城事業などをはじめ、石材供給地として有名であった。「堅石」「青石」「白石」などの区分があった、これらの石材は総称して「伊豆石」と呼ばれた。近世末期から近代に入ると、横浜外国人居留地や東京銀座煉瓦街、東京市区改正などをはじめ、不平等条約改正を目指す幕府や明治政府の都市づくりにおいて、煉瓦造と呼ばれる建物の外壁や基礎や装飾には伊豆半島産の石材が多用された。その他、近代港湾、近代造船業、近代道路、鉄道事業、橋梁、隧道などその用途は多岐にわたる。伊豆半島とその周辺産の石材産地は、明治後期頃から「伊豆半島産石材の枯渇問題」「国会議事堂建設用石材調査によって多様な採石場開発」「鉄道輸送による北関東採石場の交通の便の改善」などの要因で、その相対的優位性を他石材産地に禅譲していくまでの間、明治初期から明治中期まで首都圏で出回った石材のうち4分の3ほどのシェアを誇っていた(残りの4分の1ほどは主に「房州石」と総称される千葉県産の石材が担った)。
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執筆:伊豆石文化探究会
(https://sites.google.com/view/izustoneculture)剣持佳季
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伊豆半島が海底火山であった時代に海底に降り積もった火山灰は長い年月を経て凝灰岩へと変化し伊豆石と呼ばれる石材として江戸城の石垣に使われるなど重宝された。室岩洞は江戸時代から1954年(昭和29年)頃まで伊豆石を切り出していた石切り場(石丁場)の跡であり観光整備され1982年(昭和57年)4月10日にオープン。洞内の広さは約2,000uで内部をめぐる遊歩道はおよそ180m。歩道の要所には手すり、照明、順路票が設けられている。洞内は8時30分〜17時の間、照明が点灯していて見学は無料。
@室岩洞の案内看板があり、駐車場も5台ほど駐められます。
@室岩洞の入口までは150m程下って行く。
A室岩洞の入口。
A室岩洞の内部。
B室岩洞の内部。向かって左側。人形は不要かな?
B室岩洞の内部。向かって右側。
C室岩洞の内部。
C室岩洞の内部。
D室岩洞の内部。地底湖。
D室岩洞の内部。
E室岩洞の内部。地底湖。
F室岩洞の内部。
G室岩洞の内部。地底湖。
H室岩洞の内部。
I室岩洞の内部。地底湖。
J室岩洞の内部。地底湖。
K室岩洞の内部。
K室岩洞の内部。
L室岩洞の内部。地底湖。
L室岩洞の内部。地底湖の反対側を振り返る。
M室岩洞の内部。
N室岩洞の内部。船積み場への出口。
O室岩洞の外部。
O室岩洞の外部。上記写真の奥側。
P室岩洞の外部。船積み場方向を見る。
Q室岩洞の外部。石切場方面を振り返る。
Q室岩洞の外部。採掘した石はここから船で搬出されていた。
Q室岩洞の外部。仁科の山が見える、
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『松崎町』を掲載」
出典: 伊豆石文化探究会(剣持佳季)