更新日時 2023年04月15日

連石山石切場跡
 連石山石切場跡:世界遺産の富岡製糸工場は明治5年(1872年)10月4日に創業した。この建設に当たり、小幡にある長厳寺の連石山から製糸場建物土台石に用いる牛伏砂岩の石材が切り出され、これらは「御用石」と呼ばれた。土台石採掘場所は標高220m〜230mにあり、麓より約20m〜30mの高所にある。4尺1寸2分5厘、角1尺9寸8分352本など、石材の寸法ごとに合計約4,000本もの御用石を切り出して運搬する請負証書の記事が記載されている。切り出された御用石は、大八車で富岡市田篠の鏑川岸まで運搬され、岸からは筏に積み、鏑川を遡り、富岡製糸工場建設地南側の河岸段丘下の桐渕まで1日がかりの苦労であった。桐渕からは「コロ」を使って急斜面を上げられ、建設地に運ばれた。連石山の東向きの山肌に採掘場所はあり、跡地は南北方向に長く上下二段で採掘された。二段とも採掘の痕跡が鮮明に残されており、階段状に石を切り出した跡が6〜7段残存し、鑿状工具の痕跡も残り、石材の切り出し工程が解る。
連石山石切場跡から切り出された牛伏砂岩は富岡製糸工場の基礎に使われている。
@連石山石切場跡に登る登山道脇にも牛伏砂岩が露出している。
A連石山の展望台。
A連石山の展望台。
B連石山石切場跡の説明看板。
B連石山石切場跡へ続く山道。
C連石山石切場跡。YouTube動画リンク
 C連石山石切場跡。牛伏層は、砂岩と凝灰岩質、泥岩層の互層で、この中の砂岩部分を牛伏砂岩と呼んでいます。砂岩層は凝灰岩質や泥岩層の軟質層に挟まり各層から溶け出した水酸化鉄が浸透沈着し、板状にカットすると黄褐色や赤褐色など特有の美しい紋様を描きます。また、褶曲や断層の影響を受け多数の構造亀裂を生じています。砂岩の水酸化鉄の紋様は,西の連石山では不鮮明ですが,朝日岳(秋葉山)・八束山(城山)では繊細・鮮明で変化に富んだものが多く,東側の牛伏山では砂岩の粒子が粗く,藤岡市日野,平井地域は凝灰岩質,鮎川両岸地域は基質の均一性に乏しく,ともに紋様の繊細さや鮮明さに欠けるものが多くなるなどの特徴が有ります。
 C連石山石切場跡。牛伏層を構成する主な山は、西から連石山 351,5m、平岩 332,0m、猛崖 378,0m、幕岩・朝日岳(秋葉山)450,0m、八束山(城山)453,0m、牛伏山 490,5m、長岩約 440m、丸山約 380m、金山約 330m,藤岡市三本木地区は約 190m で、南北幅は牛伏山が約 1,3kmで東西で狭まっています。
C連石山石切場跡。
C連石山石切場跡。遠くから見たら白い部分が石灰岩に見えたが牛伏砂岩の様だ。
C連石山石切場跡。
C連石山石切場跡。
C連石山石切場跡。
Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『甘楽町』を掲載」
出典: 多胡石の美と歴史−日本を代表するピクチャーストン−