更新日時 2023年06月03日
軍艦防波堤(響灘沈艦護岸):日本海軍艦艇の多くは戦時賠償として連合国に引き渡されるか解体されるかしたが、何隻かの艦艇は解体された船体が防波堤として利用された。北九州市にある北九州港の場合、運輸省第4港湾局により構築された長さ770mの防波堤のうち約400mを、駆逐艦「涼月」「冬月」「柳(初代)」の3隻の船体を沈設して作られた。 設置当初は船体そのものが防波堤の役割を果たしていたが、のちに埋設または周囲をコンクリートで覆われた。近年、文化財としての価値が見いだされ、港湾管理者である北九州市港湾空港局による修復および由来を解説した看板が設置されたほか、土木学会による「近代土木遺産2800選」に選出されている。 なお旧日本海軍においては、駆逐艦は狭義の「軍艦」には分類されていなかった。沈設は1948年(昭和23年)6月から7月にかけて行われ、船体内部には岩石や土砂が詰め込まれてコンクリートで固定された。沈設当初は船で渡る必要があったが観光名所となり、船首楼の内部に入れたほか、各室入口のネームプレートも残されている状態だった。1950年(昭和25年)頃には歩いて行けるようになり良い釣り場となったが、このころから金属泥棒が目立ちはじめたため防波堤の役目を果たさなくなる虞があることから立入禁止となった。その後は船体の崩壊が急速に進んだ。また、1961年(昭和36年)9月の台風によって内部の土砂が大きく流失したため、翌年の復旧工事のさい「涼月」「冬月」はコンクリートで完全に埋設されたが、「柳」は船体上部の原形を約80mにわたり留めた。しかし、「柳」の船体は更に劣化が進み1999年(平成11年)に艦首部分が崩壊したため翌年、船体の周囲をコンクリートで補強する修復が行われた。「柳」の船首楼は既に無くなっていたが、修復によって船体は現在もその形状を留めている。 | |
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A軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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B軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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C軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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C軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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C軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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D軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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E軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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E軍艦防波堤(響灘沈艦護岸) | |
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