更新日時 2011年04月13日
長野総合車両センター(ながのそうごうしゃりょうセンター)は、長野県長野市西和田二丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地および車両工場。同社長野支社の管轄。北長野駅付近に位置している。JR在来線で初めて、車両基地と車両工場を一体化させた区所である。鋳物職場では鋳鉄制輪子やNN46ブレーキライニング(ブレーキパッド)などを製造している。なお、JRの車両工場で鋳物職場が現存するのは当センターと北海道旅客鉄道(JR北海道)苗穂工場のみである。梅小路蒸気機関車館開設当初、保存蒸気機関車の整備は当センターの前身の一つである長野工場で行っており、多くの車両は最後の全般検査を長野工場で受けている。また、C51形239号機の外装復原も行なっている。その後、現役蒸気機関車の全廃に伴って長野工場での整備を終了し、営業継続機関車については鷹取工場に引き継がれた。鷹取工場の閉鎖後は梅小路運転区で整備が行われている。鉄道博物館建設に伴い、大宮総合車両センターでの解体作業が終了したため、首都圏で使用された電車の廃車に伴う解体は、当センターへと機能を移した。 | |
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①長野総合車両センター正門。 | |
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②C11蒸気機関車 第2主動輪。 | ②D51蒸気機関車 第3主動輪。 |
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②形式 客車 製造 明治32年イギリス。 | ②D51-486号。 |
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②D51-486号:この機関車は、昭和15年3月に国鉄長野工場職員の手によって製作されました。直江津機関区に配属されてから、30年間にわたって信越本線の軽井沢-直江津間、及び北陸本線の富山-直江津間の客貨輸送に活躍を続けてきましたが、昭和44年10月1日の日本海縦貫(電化)完成によって、同年11月8日用途廃止となり勤めを終えた物です。特にこのD51-486号は信越地方の経済発展に寄与し、また新製以来一筋に長野工場で検査修繕がなされた関係の深い蒸気機関車です。 | |
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②正門に来たら、蒸気機関車が見えたので守衛所に蒸気機関車の見学が出来ますかと聞いたら、日曜日は蒸気機関車の見学が可能とのこと。何でも聞いてみる物ですね。工場内に入るには名簿に記入しJRのメルメットを借りて入ります。息子も蒸気機関車の運転手運転手の様です。 | |
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②クモユニ143-1・3事業用(牽引車)。 | ③長野総合車両センター。 |
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③キハ110系気動車。115系電車。183系電車。 | ④解体待ちの車両たち。 |
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④解体待ちの車両たち。 | |
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⑤訓練用のクモハ115-1074。 | |
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⑤機関車。 | ⑤車掌車(緩急車) |
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